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ふりかえりは全てを解決する…そんなふうに考えていた時期が、俺にもありました

世は大ふりかえり時代

「やっぱりふりかえりだよね」「ふりかえりをやるようになってチームが前向きになりました」「毎日ふりかえりしてたら着る服が黄色くなってきました」そんな声をよく聞くようになりました。世は大ふりかえり時代。

スクラムのスプリントの最後に行われる「スプリントレトロスペクティブ」という文脈からひろがり、いわゆる「リフレクション」と「レトロスペクティブ」がいい意味で区別されず「ふりかえり」として扱われている昨今。
過去をふりかえり、よりよい未来を描くために内省することを促す「ふりかえり」はモダンな組織において必要不可欠な存在になっているように思えます。

そんなこんなで、ふりかえりのファシリテーションを手伝ってほしいというお願いをコンスタントにいただきます。基本的にはお受けしているのですが、ある条件に該当する場合はお断りすることもあります。

先のないふりかえり

「案件に区切りがついたからふりかえりをやりたい」ケース。

数ヶ月にわたって進めた開発に区切りがついた。人もすなるふりかえりといふものを朕もすなる。
というわけでふりかえり手伝ってください。

こういった、長期間を対象としたふりかえりをやりたいという依頼が来た場合、以下を確認しています。

  • ふりかえりを実施する参加者は、関係者全員を集められますか(偉い人含む)

  • その体制は(多少の変更はあるとしても)存続しますか

両方イエスであれば、お受けします。どちらかがノーであれば断ることが多いです。
なぜなら、全員が参加しないと偏った視点でのふりかえりになるからです。
特に長期間のふりかえりの場合、人間の脳髄が時間がたつとインパクトのあること以外忘れていくという性質を持つ、まさに人間の中の迷宮であるという観点から、ネガティブな発見に集中しやすいです。そんなときに誰かがいないと欠席裁判になりやすい。偉い人がいなかったりすると「○○さんがちゃんとまとめてくれればねぇ」なんてなったりする。それだと自分たちで省みてより良い未来を描くことにつながりません。

そして、体制が存続しないとしたらそのふりかえりの学びはどこへ向かうのでしょうか。数時間かけてふりかえって、「いやーこういうの大事だよね」という感覚はもてるでしょうが、そのふりかえりのアクションアイテムはきっと石に刻まれっぱなしになり、やがて墓標となるでしょう。

裏の目的があるふりかえり

仕事を進めている中で何か大きな問題があり(チーム内の致命的な不和、認識齟齬による経済的損失の発生など)、それについて原因を深掘りしたい。けれど角が立つからふりかえりの皮をかぶせて穏便にやろう。。。

重大な問題が発生しているのであれば、それはレトロスペクティブでもリフレクションでもなくポストモーテムの形で取り扱うのがよいと私は考えています。

なんとなく穏便にふりかえりで…なんてやってる時点で、ふりかえりで「本当に話したい真の課題」と向き合うことなんてできません。きちんと、Hard Thingsと向き合いましょう。

なぜふりかえりをやりたいか自問自答しよう

行為として「過去をふりかえる」ものを全てレトロスペクティブ、リフレクションにあてはめてしまうとうまくいかないことがあります。なんとなくでやってしまうと「ふりかえりって時間ばかりかかって得るものがないね」という学習を組織がしてしまいます。

それってもったいない。

いま自分がやりたい「ふりかえり」が「ふりかえり」なのか、あらためてふりかえって考えてみるといいでしょう。


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