見出し画像

ふりかえりはマンネリ化する、という事実を受け入れる

はじめに

これはふりかえり Advent Calendar 2022 25日目の投稿です。メリークリスマス!!

永遠の課題、ふりかえりのマンネリ化

「ふりかえりを続ける中でマンネリ化する」という話や、そこに対する対策については様々な情報が世の中にあります。今年、自分のまわりでこの状況を観測する機会が増えてきたこともあり、あらためてこの問題と向き合ってみます。

マンネリズム

芸術家が一定の技法や形式を惰性的に繰り返すだけで,独創性や新鮮みを失うこと,またその状態をいう。今日では,物事に対する現状維持的態度を意味する語として一般的に用いられている。

https://kotobank.jp/word/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0-161936

一定の期間をくりかえし、ある程度安定した環境(同じメンバー、時間、空間)で実施するふりかえりには、宿命的にマンネリ化を引き起こすメカニズムを内包しています。

なぜ、ふりかえりを始めたばかりの時期にはマンネリ化が起こりづらいのでしょうか。

ふりかえり未体験チームの目の前には成功の種しかない

プロセスを見直す機会がなかったチームには、様々な課題がつきまとっています。プルリク誰もみない、ベテランしか意見がいえない、お互いが何やってるかわからない、タスクについて認識がそろってない…。あまりの課題の多さに気圧されそうになりますが、裏を返せば「なにやっても改善する」状態でもあります。

ふりかえりを始めたばかりのチームの眼前には、明らかに片付けるべき課題が山積している

この段階では、「なぜ」を深掘りするスキル、本音を引き出すファシリテーションなどが未熟でもふりかえりで成果が生み出されていきます。なぜなら、手近な問題をとりあえず解決するだけでも前進するステージだから。

やがて訪れるプラトー

ちょっと立ち止まればわかるような、少し手を動かせば解決するようなレベルの課題は早晩、一掃されます。それ自体は非常に喜ばしいことです。けれども、「なんでもやれば改善する」という状況ではないため、ふりかえりの効果を実感することが難しい時期が訪れます。

目に見える課題はやがて片付く

学習や作業の進歩が一時的に停滞する状態。練習曲線の横ばいとして現れる。心的飽和や疲労などが原因で起こる。高原現象。高原状態。

https://kotobank.jp/word/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%BC-171449

このプラトー状態における行動が、その後のチームの命運を握っています。

「タイパ悪いから時間短くしよう」

「効率よくいこう、何事もね!」

ふりかえりにかける時間あたりの効果が小さくなっている。このときにタイパを重視して判断すると、「ふりかえり時間を短くする」「ふりかえり頻度を下げる」という意思決定が生まれます。そのときには「課題が減ってきていいかんじになってきたから、ふりかえりやる必要なくなってきたよね」なんて会話が繰り広げられているかもしれません。

「マンネリ化する=うまくいっていない」という価値観をもっていると、うまくいっていないということが受け入れがたいために、「マンネリ化を乗り越える」のではなく「自分たちはうまくいっているからふりかえりは不要になったのだ」とあう現状理解をし、認知的不協和を乗り越えようとするのです。

やがてこういう発言が出るかもしれません。「もう最近は問題がなくなってきたから、ふりかえりやめたんですよ。」

このようにして私達は、定期的に自分たちのありかたを点検し、よりよい状態へと向かうための加速装置をやすやすと手放してしまうのでした。

〜BAD END〜

「よりよいチームになるために、何ができる?」

「もっと遠くへ!」

ふりかえりにかける時間あたりの効果が小さくなっている。なぜそうなっているか話し合ってみることにした。どうやら、ふりかえりを始めたころに私達が躓いていたようなあからさまな問題は、もう片付けてしまったみたいだ。

じゃあ、どうする?いまは最高か?あれだけの課題を解決してきた私達だ、もっと先に進めるのでは?
「熱気球(※)」で上昇気流をつかまえてみよう。これから立ちはだかる雲はなんだろう。

より高みを目指す私達の旅は始まったばかり。

〜To Be Continued〜

マンネリ化を「失敗」と判断せず、冷静に現状をとらえる。そのように行動できると、「うまくいっていない」「ふりかえりは自分たちにはもう必要ない」のではなく、自分たちのステージが変わっていること、これまでの目の前の課題を見つけてやっつけるというアプローチで対処できる課題は残っていないこと、それゆえ従来のやり方だと効果がでなくなっていることに気づきます。
このように現状を把握し、マンネリ化をマンネリ化として受け止めることで、チームは「まだ見えていない課題」「自分たちが向かいたい先」について話し合うステージにたどり着くのです。

※「熱気球」はふりかえり手法のひとつです

プラトーを超えて

私が3月まで所属していたチームでは、私が在籍している時点で2年ほど、スプリントごとのふりかえりを絶えず行っていました。12月現在、私がいなくなってからもそれは続いています。

そのチームが、この前noteを書いていました。タイトルはその名も「ふりかえりをより良くするために工夫していること」。

自分がいなくなってからもふりかえりが続いている、というのがまず嬉しいですが、決して惰性で続けず、常に自分たちの今いるところを問いながらふりかえり、ふりかえり自体もカイゼンしていってることが、このnoteからは伝わってきました。

プラトーが訪れるのは一度きりではありません。その都度、私達はマンネリズムに圧倒され、ふりかえりの習慣を止めてしまう脅威にさらされます。けれど、「プラトーを乗り越える」ことさえも習慣にしてしまえば…そこにはもう、マンネリ化の罠は存在しないのです。

マンネリ化させない、ではなくマンネリ化を受け止め乗り越える

ふりかえりは、構造的にマンネリ化を呼び込みやすいものです。同じ人、同じ時間、同じ空間。手法も固定的になりがちです。(なので、マンネリ化への対抗手段として手法を毎回変える、というアプローチもありますし、有効です)

そして、マンネリ化したときに「マンネリ化してるからもうやめよう」となり、ふりかえり自体を止めてしまうことが起こり得ます。

せっかく築いたふりかえりの習慣を捨ててしまうのか、マンネリ化していることを認め、あらためて自分たちに必要なふりかえりを見直し前に進むか。
多くの人が後者の選択をとると、私は信じています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?