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OKRと「測りすぎ」

僕らはみんな「測りすぎ」

2月最初の読書は「測りすぎ」。タイトルが示すとおり、現代における過剰な数値信仰への警鐘を鳴らす一冊だった。

数値が有用であることは間違いない。状態を正しく把握するために数値はこのうえなく有用だ。しかし数値自体が目標とされてしまうと、とたんにその有用性は身を潜め、有害さを発し始める。

本書では、重大な犯罪の発生率を抑えるために本来重犯罪であるべき事案が軽犯罪扱いされる、といった露骨で、かつ倫理的に許しがたい不正が紹介されている。しかし、こうした「数値ハック」は至るところで行われているのではないだろうか。

全ては数値では測れない

かのピータードラッカーは、名著「経営者の条件」の中でこう主張していた。

“根本的な問題は、組織にとって重要な意味を持つ外部の出来事が、多くの場合、定性的であって定量化できないところにある。 ”

そう、全てを計測できるわけではないのだ。特に新しいことを始めるときは、その物事を推し量るための定量的尺度が存在しないのだ。畢竟、定性的なところから出発することになる。

OKRで「測りすぎ」は防げるか

さて、ここからは目標管理方法「OKR」を軸に考えていく。OKRがどういうもので、どう運用するかについてはこちらをご確認いただきたい。

最初に白状しておくと、私はOKRの信奉者だ。OKRとスクラムチームを組み合わせた開発スタイルを採用し、Agile Tech Expoで紹介したくらい、傾倒している。

だからOKRを活用することで「測りすぎ」の誤謬から脱却できると確信しているし、こうして紹介もしている。なので、多少バイアスがかかっているであろう点はご容赦いただきたい。

さて、OKRという目標管理手法は少々特殊だ。なんせ、「達成していたい状態」は定性的に定義し、それが「達成されていること」は定量的に計測するのだ。

この変換にポイントがある。定量的な指標(KR)は、定性的な目標(O)が達成されているか検査されることになる。つまり、KRが達成されていればそれで万歳、というわけではない。

結局のところKRというのは、「Oを達成せしめるものだろう」という仮説でしかない。仮にKRが100%に到達していても、Oが達成されないことだってある。逆にKRは60%程度だが、結果的にOが満たされているということだってある。

数値を追いかけつつも、数値はあくまで状態を示す指標でしかなく、目標が達成されているかはObjectiveで判断する。数値化への過度な信仰が除去される仕組みになっているため、OKRをうまく活用すれば「測りすぎ」を避け、真に目指すべき目標へと邁進することができる。

OKRを使えば立ちどころに解決する!…わけではない

「じゃあ、OKRを使えば解決するんだね!OKR完全に理解した。」

そう判断してしまうのは早計だ。OKRという仕組みがあっても、KRにしか注目していなかったり、OKRツリーの伝搬が定量的な数値の分割でしかなかったりすると、それは結局「測りすぎ」の魔手からは逃れられていない。

それどころか、「達成できるかわからないチャレンジングな数値」に目標設定することを推奨するOKRにおいては、数値だけを見てしまうと「測りすぎ」へ向かってまっしぐらだ。

「なっていたい」定性的な状態と「実際にそうなっている」定量的な数値を紐づけ、測りすぎを避け、真の目標へと向かうために必要なのはー『対話』だ。

OKRを機能させるための要素としてCFRというものがある。Conversation(対話)、Feedback(フィードバック)、そしてRecognition(承認)だ。「数値的に達成しているから達成だよね」という粗っぽい判断ではなく、対話によって「望ましい状態になっているか」を確認するのだ。そういった営みを通して、「測りすぎ」から脱却することができるのだ。

そこには「無知の知」がある

そしてもう一つ大切なのは、「数値では測れないことがある」ということを認めるという謙虚さだ。自分には知らないことがある、ということを知っている。そういったまなざしでこそ、本当に見るべきもの・方向は見えてくるのだ。

「数値」は決して悪ではない。とても有用なものだ。私が信奉するOKRでも、定量的な計測はやはり重要視されている。かといって、絶対視するべきものではない。曖昧なものを扱うことは難しいが、そこから目を背けず真摯に向き合うことからこそ、真の達成は得られるだろう。

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