手作り
他人の手作り料理があまり得意ではない、というか嫌いである。
そう言うと「え、じゃあ外食できないじゃんww」などと突っ込む人もいたが、自分のなかではよほど清潔感がないとかではない限り、飲食店には信頼をおいている。
ただそんな自分でも、小学生のとき貰ったヘッタクソな手作りクッキーを食べたくなるときがある。
なんとも言えない半ナマな食感や鼻から抜ける生焼けの小麦粉の匂い、百均で買ったであろう包装やクッキーが纏うそのお宅の微かな香り。
全く美味しくはなかった。なんならこういうマセた女児による押し付けがましい女子力の賜物によって、手作りのものが嫌いになったが、なぜか無性に食べたくなるときがある。
小学生のときが最盛期で、そこから下ってきた人生だったため、思い出分の味が上乗せされているのだろう。
高一のときにもらった、ポンデリングの形を模した、爆デカ手作りちぎりパンは酷かった。これのせいで手作りが完全にダメになってしまった。
食っても食っても減らない。口の中どころか内臓の水分まで持っていかれそうになる。許しがたく煩わしい圧倒的な小麦感。プロレスラーの腹のような硬さと重さ。極めつけは、潔癖を自称してペットを飼わないご家庭のはずなのに何故かパンに練り込まれていた、哺乳類の短毛のようなもの。
幸い、陰毛のような太さと縮れはなかったため、人間の下半身から生まれた毛である可能性は低そうだが、気持ち悪いことに変わりないため残りは捨ててしまった。
とはいえ、途中からは「食べ物を粗末にしないための完食」を目標として、フードファイターのような気持ちになってガムシャラに食べ進めていたため、残りは2切れとなっていた。大健闘である。
JKによる愚かな煩悩の塊パンを生成するために使われてしまった小麦と、この小麦を育てた第一次産業従事者への罪悪感を払拭するため、いつしか自分もパン作りに励むようになった。
このような動機でパンにされる小麦の気持ちを考えると心苦しかったが、そのときの自分は「君達を立派なパンにするんだ」という一種の先導者的な感情を持っていた。時代が違えば活躍できたかもしれない。
作り始めた当初は上手くいかず、図らずも "プロレスラーの腹ブレッド" を生成してしまったこともあった。
しかし慢心を捨て、ひたむきに鍛錬を重ねた。
そして今ではフワフワのパンを作れるようになった。
パン作りが趣味となった。
JKによる愚かな煩悩の塊パンが、いつのまにか自分のなかの小麦魂を呼び起こし、さらには新しい趣味にまでなっていたのだ。
人間の成長の裏には嫌悪的な感情が含まれていることもあるのだと、奇しくも学んだ出来事であった。
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