うつファミリーの日々|自死した次兄のこと
みなさんおつかれさまです。ドアパインです。
嗅覚障害が残りました。。。
コロナおそるべしですね。。。
でも軟禁生活も本日で終了です♪
明日からはまた仕事!頑張ります。。。
さて、今日は次兄のことを書こうと思います。
ちと重い内容ですので、あらかじめご承知おきください。
次兄の自死について
次兄の仕事
次兄は高専卒業後、東京に就職。
しかし、地元の彼女が妊娠していることが発覚。
そのため、急遽、地元にもどって就職して、結婚。
その後子供にも恵まれ、妻、子3人と暮らしていたようです。
仕事は、やとわれの立場から、一念発起して独立。
光回線の勧誘電話かけまくり、契約をかちとるという仕事だったようです。
次兄の離婚
そんな仕事も独立した社長、3人の子宝にも恵まれた次兄の家庭は、
まさに円満そのもの。
と思っていたら、ある日長男から連絡あり、どうやら次兄の妻が不倫していたようで、離婚しそうだと。
ここから色々大変なことが起こります。
当然子供は引き取らないつもりの次兄の妻。
仕事が多忙な社長の次兄。
さてどうしたもんかいのー。と思っていたら、
実家の母のところに子供を預ければいいんじゃない?
父も亡くなったばかりの母も寂しくないだろうしね!
そんな家族会議が開かれたそうです。
(3男はほとんど事後報告でした。。。寂しい。。。(苦笑))
そんなこんなで離婚した次兄は、
中3女子、小1女子、幼稚園年少男児、とともに
60代の母の実家のもとに転がり込んだのでした。
次兄の自死
仕事が行き詰まっていたようでした。
光回線契約はおそらく飽和状態。
電話勧誘して儲けられた時代のピークはとうに
通り過ぎていたようです。
大容量プランのスマホプランも登場してきており、
家に光回線が必須でなくてもいい家庭も多く、
ソフトバンクがぐいぐい来ている状況で、
エーユー回線契約の下請けは厳しい状況だったのかもしれません。
資金繰りが厳しいうわさが聞こえてきました。
加えて帰宅はいつも深夜。子育てはすべて母まかせ。
その母も限界を迎えていたようで、
いつか次兄は死ぬんじゃないかと思いながら、
献身的に支えながら行う家事と育児。
中3の女子ともうまくいかず、けんかも絶えない生活だったようです。
もともと器用ではないタイプの母も限界でした。
意味不明な発言が多くあり、バリケードをつくったりと
発狂してしまいました。
そんな家には当然帰りたくない次兄は余計に家によりつかなく
なりました。
長男とも次男とも協議して精神的に崩壊してしまった母を
精神科の病院に強制的に入院させました。
やれやれとりあえずこれで少し考える時間ができたねと。
話していた数日後、
私の勤める病院に次兄が運ばれてきました。
首にくっきりと青い内出血の跡があり、
心肺停止の状態でした。
母を入院させたことで、次兄の緊張の糸が切れたのでしょう。
母が不在で、子供たちが学校に行っている間に、
隣の倉庫の2階で首をつってしまいました。
次兄なりの気遣いだったのでしょう。
第一発見者が子にならないように手紙を残していたこと。
自分の下には汚れても大丈夫なように、テントのシートを敷いていたこと。
また、相当ためらったのか、たばこの吸い殻が20本くらいありました。
あまり強くないのにストロングチューハイの500mlの空き缶が転がっていました。
あの日のことはようやく今は思い出せるようになりましたが、
残された家族はかなりきつかったです。
今思うこと
私も次兄にはひどいことを言い放っていたのです。
「自己破産もありなんだからあまり根詰めないでね」
などと軽々しくいってしまったので、
プライドの高い兄からするとそうとう嫌だったと思います。
母を強制入院させた矢先だったので、入院させてしまった長男も私もかなり
自分を責めました。
しかし、こればっかりはどうにもならなかったんだと思います。
仕方なかったんだと思います。
次兄の遺品整理していたら精神科にかかったレシートも出てきました。
きつかったんだと思いますが、逃げてしまった次兄がすべてなんだと思いますし、それも全て仕方なかったんだと思うようにしています。
そうしなければ、自分たちは生きていけないのもありますが、、、
最後に
後悔しかありませんが、それも人生です。
今回の経験を経て、なによりも私の人生の柱、座右の銘としては
「いのちをだいじに」としました。
どんなことがあっても自死だけはあってはなりません。
せっかく生を受けたこの人生。自分で終わらせてしまうことは、
残された人、発見してしまった人、偶発的にかかわってしまった人
誰も幸せになりません。
なので、終わりの日まで楽しく苦しく生きていきましょう。
こんな重たい内容、最後までお読みいただきありがとうございました。
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