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「今日もコピーが書けません」第7話:悪夢の社内競合

2015年のことだ。その年は、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」が公開され、欧州に難民危機が訪れ、エルニーニョ現象などによって世界の平均気温が過去最高を更新した。そんな年だった。

中堅広告代理店でコピーライターとして働くPは、大手自動車会社Uの仕事に忙殺されていた。自動車の広告は、会社の中では花形であり、すべての仕事が大きな予算と規模で、やること、考えることは無限にあった。TVCMはもちろん、キャンペーンサイト、グラフィック、SNS、店頭イベント、グローバルで流す展示会のムービーに、国内展示会のブースデザインと運営などなど。別部署からは羨まれるような予算規模と仕事内容だったが、担当しているスタッフはみな疲弊していた。

目の下にクマができたデザイナーのHさんが、ふらふらとデスクに戻ってくる。コピーライターであるPとはよくタッグを組んで仕事をしていた。「Hさん、大丈夫ですか?寝てます??」「Pくん、僕はもうダメだよ」「どうしたんですか?」「なんか色をもっとPOPにしろとかロゴでかくしろとか言われちゃってさ〜、もはや誰のデザインだかわかりゃしないよこれは」「Uの宣伝部は戻し多いですからね〜」「全員目が死んでてさ〜。『上がPOPにしろと言うので』しか言わないの。まったく意見もなくて、どういうPOPか聞いても、誰も何も言わないんだ」「POPって言っても色々ありますもんね」「そうだよ、ガーリーな感じなのか、男の子っぽい感じなのか、それとも、エキセントリックなPOPなのかとかさ」「もうHさんの好きな世界観でやればいいんじゃないですか?」「それでいいなら全部ウェス・アンダーソンみたいにしちゃうけど。半ズボンの男の子が車運転して空飛んじゃうみたいな」「いろいろNGです」「だよね〜」

しんどい仕事だが、スタッフの仲がいいのでなんとかやっていけている。こうして愚痴を言いながら、とにかく時間ギリギリまで提案して、撮影して、編集して、コーディングして、納品する、の繰り返しで日々は過ぎていった。しかし、その日はちょっと違った。いつもは使わない大きな会議室に、クリエイティブ・スタッフは全員集められた。隣の部のクリエイティブチームもいる。ただごとじゃない。

U自動車担当営業のKが重々しく口を開く。貫禄のある大柄な体格をしており、とにかくクライアント・ファーストで動くことで有名な部長だ。クライアントのためなら徹夜もいとわず、魂を捧げている。もちろん自家用車もU製品である。「え〜 Uの担当車種「R」の扱いがピンチです。これまでのママ向けのCMではなく、パパをターゲットにしたマーケティングに変えたいという意向です。S役員が昨日クライアントの車種担当部長と飲んでゲットした情報なので、まちがいありません。」

S役員はKとは対照的に、スマートでシュッとしたスーツを着こなしている。彼もクライアントのためならなんでもする事で、ここまで上り詰めた。しかし、人を平気で切り捨てるため、スタッフからの人気はなかった。彼は無言でK部長が話すのを聞き、なにやら小さくうなづいていた。なんのためにこの会議にいるのだろうか。

Kが続けて「というわけで、現行のチーム、仮にAチームとしますが、Aチームによる提案と同時に、Bチームも立てて、2チーム制で「R」の提案をしようと思います。」

それで、隣のクリエイティブチームが呼ばれていたのか。なんだか大変なことになってきたな・・・と思っていると、Aチーム、つまりPがいるチームのクリエイティブ・ディレクターであるTが口を開く。「私が一児の母で、ママさんCDだから、これまでRの仕事がとれていた、とお考えということでしょうか?」

Tさんは、出産を経て復帰し、最初は時短で働いていたが、今や定時まではきっちり働くクリエイティブ・ディレクターだ。その分、無駄に長い会議はせず、案の決定は早い。きびきび指示を出してくれて気持ちが良かったし、Tさんじゃないと、この仕事は回せない。Tさんのチームにいるスタッフはみんなそう思っていた。

Kは狼狽えながら言う「そ、そういうわけじゃないよ。これまで、RのブランドをつくってきたのはTだってことも重々わかってる。だけど、パパ向けと言われて、男のCDの意見も聞いてみたいってなるのがクライアントだからさ、保険の意味もこめて・・・」

「オレは保険のつもりはさらさらないですけどね」BチームのOさんが言う。OさんはTさんとは対照的に、大人数のチームでじっくり考えるタイプのCDだった。プレゼン前日の深夜ギリギリまで案を練って、そこからデザイン会社に大量のグラフィックを発注する。次の日の朝には、広告案だけではなく、企画書そのものがひとつの作品のように綺麗に仕上がっている。そのプレゼンを受けたクライアントはみな、このCDに任せてみたい、と心が動く。

そんな正反対の2人を2チームに分けて、社内競合させる。この案を言い出したのはS役員だろう。その命令を忠実に聞いているだけのK部長は、汗まみれになりながら、両者に気を遣っている。まったく胃がいくつあっても足りない仕事だな、と思った。とにかく、U車の自動車「R」の扱い死守をかけた、社内競合プレゼンが始まったのであった。

タバコを根本まで吸いながら、Hさんが言う「大変なことになったね」Pはうんざりした顔で答える「社内競合って嫌なんですよね、なんかギスギスするから」「まあ、こうやって扱いを守ってきた歴史があるからね〜、S役員のあの冷徹な顔見た?トカゲみたいだったよね」「本当ですよね、変温動物でしたね」そんな話をしていたら、Bチーム、つまり「敵のチーム」のクリエイティブ・ディレクターであるOさんが喫煙室に入ってきた。

「おう、おまえら、Aチームはどんな案出すんだよ」「言えるわけないでしょ、それにまだなんも考えてないですよ」「お前らも大変だな、すぐに帰るCDの下で。俺のチームなら限界まで鍛え上げてムキムキにしてやれるんだけど」「また別の機会にお願いします・・」「まあ、裏切りたくなったらいつでも俺のチームに来いよ」「失礼しまーす」

早速始まっている。競合プレゼンは「情報戦」である。クライアントのキーマンがどんな案を欲しがっているか、敵のチームがどんな案を出すか。それをどう潰すか。戦時中ならではの読み合い・スパイ行為・立ち回りに、社内がギスギスする。Pはそういった社内政治にはまったく興味がなかった。

「じゃあ、うちのチームは、ママとパパの会議をテーマにしましょうか」Tさんはそう言った「パパにフォーカスしないんですか?」Hさんが疑問を口にする。「パパがテーマなのはもちろんなんだけど、これまでママ向けでずっとやってきたR車のイメージもあるから、うまくバトンタッチするようなCMを挟むのがいいんじゃないかと思うのよね」「なるほど」「だから、ママとパパが生まれた子どもとどこにいきたいかを話し合って、いろいろ意見が割れるんだけど、そのすべてを叶えられる車こそがRだ、っていうストーリーにするわけ」「でも、どんな?」「それはみんなで考えましょう。うまくRの良さに落ちるようにね」いつも通り無駄のない会議は30分で終わり、1週間後のMTGまでに各々が案を持ちよることになった。でも、大きなフレームはできているので、デザイン担当のHさんも安心した顔をしていた。

一方Bチームの情報はまったく入ってこなかった。どうやら苦戦しているようなことを、営業から少し教えてもらったが、全貌は明らかになっていない。会議室には鍵をかけて、他のチームが入って来れないようにしているとか。その部屋は「WAR ROOM」と呼ばれていた。いったいいつの時代の価値観なんだろうか。

あっという間に2週間が経ち、プレゼン当日を迎えていた。Aチームはパパとママの会議案を提出し、クライアントの現場はうんうんと聞いている。これまでずっと向き合ってきたチームなので、納得感が強いのであろう。ただ、車種担当部長は表情を変えなかった。

そして、Bチームのプレゼンが始まる。Oさんはニヤリと笑い、こんなことを言い始めた。「いいですか、ママ向けからパパ向けに変わる。このインパクトを最大化するには、ママを登場させてはいけません」

Tさんの眉がピクッと動く。

「特に、会話劇なんかは最悪です。なぜなら、その秒数の分だけ、車が写らなくなるから。あくまで主役は車なんです。だったら、車をずっと映しながら、パパと子どもの旅を感じさせるCMにするべきです」

なんだこのプレゼンの構成は?まるでAチームの案があらかじめバレているかのようだ。

「パパと子どもの、「男旅」をテーマにするんです。わくわくするワイルドな旅、そのアドベンチャーにこそ、Rが馴染みます。これは史上最大の男旅キャンペーンです。」

海外の映画のドライブシーンを繋いだイメージムービーが流れる。世界中で大ヒットしている有名ロック曲が聴こえてくる。役者は全員ハリウッドスターである。こんなムービーを見せたところで、実際にはこのクオリティではつくれないのだが、プレゼンとなると、派手な方がいい、という考え方だろう。クライアントはその迫力に圧倒されていた。

結果は、翌日に届き、Bチームが勝利となった。Aチームは解散となり、Tさんは、「みんな、ごめんね。また別の仕事が獲れたら声をかけるね」と言った。その背中は、寂しそうだった。しかし、おかしい。なんでAチームの案が筒抜けになっていたのだろう。

喫煙室に入ろうとすると、そこにはHさんとOさんがいた。「じゃあ、これからよろしくな」そう言って、Oさんが出てくる。Pは咄嗟に身を隠した。そして、Oさんがいなくなってから、喫煙室に入った。「Hさん、どういうことですか?」「あ、あ、Pくん、見てたの?」「HさんがAチームを裏切ったんですか?」「裏切ったなんて大袈裟な・・・ちょっと案のことを話しただけで」「それに、Oさんのチームでデザイナーをやるって話なんですか?」「そ、そうなんだ。プレゼンも終わったし、チーム再編成ってことで、これまでのデザインをわかってる僕が引き続きやってくれないかってことでさ」「本当にそれでいいんですか?」「Pくん、僕ももう年だし、家族もいる。大きな仕事から外れたら、この会社に居場所がなくなってしまうんだ・・・。わかってほしい」

Pは行き場のない怒りを抱えたまま、デスクに戻る。するとそこに、U自動車のマーケティング担当・Mがいた。Mとは同期入社の腐れ縁だ。「大変だったな」「ああ、でももうこの仕事から離れられると思うとせいせいするよ」「Hさんも本当はもうやりたくなかったみたいなんだが」「え?Aチームを裏切ってBチームに行った男だぞ?」「おいP、ちょっと来い」

使われていない小部屋の会議室でMが事情を説明してくれた。「Hさんは本当はAチームを裏切るつもりはなかったんだが、Oさんに弱みを握られていたんだよ」「そうなのか?」「誰にも言うなよ」「言わない」「Hさんは、U以外にもいろんな仕事を抱えていた。徹夜続きで、つい会社の近くのマッサージ屋に泊まったんだ」「マッサージ屋って泊まれるの?」「なんというか・・・中国系のグレーなマッサージ屋は泊まることができる」「そうなのか?それで?」「で、朝起きたら、PCがなくなっていた。店主もいなかった。場所を貸してくれるだけのマッサージ屋で、そこにはもはや誰も残っていなかったんだ」「そ、そんなことが・・・」「で、Hさんが店から出てきたところをOさんに見られていた」「なるほど」「すべてをOさんに相談したところ、こう言われたんだと。『PCをもったまま外出して、グレーなマッサージ屋でパクられた、となったら、処分は免れないだろうなあ。俺に任せとけばなんとかしてやる』と」「その代わり、Aチームの情報を?」「そういうことだな」Hさん、何が家族のためだ。

デスクに戻ってくると、そこにはK部長がいた。「Pくん、プレゼンお疲れ様でした」「負けた方には用はないんじゃないですか?」「まあまあ、そんなこと言わないでさ」「何の御用ですか?」「Hさんのことは聞いてる?」「はい、Oさんのチームに入るって」「そうなんだよ、やっぱりこれまでのことをわかってるスタッフがいたほうがさ、いいと思って」「それで」「PくんもOさんのチームに・・・」「絶対イヤですね」

ニコッと笑ってPは言った。「Aチームの案を信じて、Aチームとしてプレゼンをして負けました。いまさらBチームに合流はできません。もちろんサラリーマンなんで、やれって言われればやりますけど、気持ちとしては絶対にイヤですね。1行もコピーは書かないと思います」

「ふ、ふざけるな!俺たちがどんな気持ちでこの仕事を守ってきたと思ってるんだ!」K部長が怒りを見せるのは珍しい。「それもこれも、みんなの生活のためじゃないか!この会社のみんなの給料や、お前の給料のためじゃないか!それなのに、そんなことで、さ、逆らうのか!」

「それは担当営業のエゴでしょう。U自動車の仕事以外にも、仕事はあります。だいたい、イヤイヤこの仕事をやるんだとしたら、徹夜や粘ってアイデアを出す会議なんて絶対にできないですよ。人生の無駄ですから。じゃ、そういうことで」

ポカンとたちすくむK部長には申し訳ないが、人生を無駄に使うわけにはいかない。これだから、社内競合は嫌なのだ。

数年後、U自動車の仕事はなくなり、S役員もK部長も出世の道は閉ざされる。Oさんは相変わらず別の仕事で元気に暴れ回り、Hさんはその下で徹夜を続けている。TさんやPは独立して出ていくのであるが、それはまた、別の話だった。




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