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「今日もコピーが書けません」第4話:空飛ぶ三角関係

2002年、それは
・ユーロ通貨の開始
・日韓W杯共同開催
・エミネム「Lose Yourself」発売
・Dragon Ash「Life goes on」発売
の時代であり、ライブドアがホリエモンに事業譲渡され、ITという言葉が世の中に出始める。何か世の中が変わりそうな雰囲気が溢れている。そんな時代であった。

プロペラは順調に回り続けている。骨組みだけのコックピットの揺れをスタッフが抑えている。パイロットのNは苦しそうな顔でペダルを漕ぎながら言う。「やっぱ重いな」操舵系を担当する女性メンバーのCがタオルでNの顔を拭く「ファイト!」「ありがとう」。2人が仲睦まじくしている様子を、苦々しく眺めている男がいる。コックピット担当のTであった。「よし、OK!」プロペラ担当と駆動系担当の部員たちがほっと胸をなでおろす。第1回の駆動試験は成功だった。

Pが人力飛行機制作サークルに入部したのは、偶然の成り行きだった。地元・京都での受験勉強を経て、宮城県の国立大学になんとか合格し、夢にまで見た一人暮らしを始めることになった時、思い描いていたのは「映画研究サークル」であった。高校時代に「当日」で映画や音楽をレンタルしまくっていたPの口癖は、「TSUTAYAこそが俺のMoMAだった」である。

ところが、大学のサークルが集まるサークル棟の映画研究会「デ・パルマ」に見学に行き、愕然とした。先輩がつくった自主制作の映画はとても見ていられないものであった。そもそも音声がまったく聞き取れないという機材や収録の問題は差し置いても、下ネタを先鋭的だと感じる内輪ノリや、知り合いが登場するだけで満足そうに盛り上がっている集団に、心の底から冷めてしまったのだ。

行く当てをなくして、キャンパスの広場のベンチに座っていると、4月の初旬ということもあって、多くのサークルが勧誘チラシを渡してきた。「自転車サークルで蔵王のお釜へツーリング!」「ESSで国際交流を」「応援団で青春を燃やそう!」どれもピンとこず、ぼーっとしていたら、急に便意に襲われる。まだキャンパス内のことを把握していないため、近くにいるサッカーをしていた集団の1人に声をかけた「あの〜」「はい?サッカーやる?」「あ、いや、トイレの場所って」「ああ、こっちこっち、案内するよ」親切にトイレの場所を教えてもらい、なんとか間に合う。入学そうそうとんでもないトラウマを抱えるピンチを脱し、広場に戻ると、サッカーを続けている人たちがまだそこにいた。

その集団は、スポーツをする格好ではなく、ジーンズやチノパンなど、ごく普通の学生の格好である。「あの、さっきはありがとうございました!」「あ、よかったね!」「あの・・どういう集まりなんでしょうか?」ボールをとめて、トイレに案内してくれた先輩がチラシをくれる「鳥人間サークルWへようこそ!人力飛行機で、琵琶湖に飛び込め!」「これって、テレビでやってる」「そう、鳥人間コンテストを目指して、飛行機をつくってるサークルだよ。よかったら作業場の見学に来てね。」もらったチラシの写真は、飛んでいる飛行機ではなく、琵琶湖に飛び込んでいる部員たちの姿だった。それは、高校を卒業したばっかりのPにとって、純度100%の「青春映画」に見えた。

「みなさんには、馬車馬のように働いてもらいます」耳を疑う言葉をG部長が言う。「このままでは、大会に間に合いません。お金も足りません。作業場で飛行機をつくるか、家庭教師でお金をつくるか、どちらにせよ、みなさんの働きにかかっています。では、よろしく」人力飛行機制作はとんでもなくハードであった。春の書類審査、5月の荷重試験、プロペラの駆動試験、梅雨がくる頃に早朝の試験飛行、そして夏には琵琶湖での本番である。大会前は徹夜が続く。宮城から滋賀県までの大型トラックによる輸送費もかかる。学生なので、テストやレポートもある。思い描いていたゆるいキャンパスライフとはまったく違う、ハードな労働生活。それが人力飛行機の制作であった。

1年が過ぎ、2年が過ぎ、残っている部員は面構えが違う。何か大切なものが麻痺してしまっている奴らだ。「はい、線が歪んでる。ボツ」主翼担当のHが、Pが30分かけて仕上げた翼の1枚をボキっと折る。軽い木材であるバルサと、建築資材として使われるスタイロフォームというスチロール材で構成されている翼の1枚だ。この制作精度が飛行距離につながる。職人気質のHは名古屋の町工場の息子だそうだ。「厳しすぎるって」「この線の外側で空気が剥離すると浮力が出ない。この塊を飛行機とは呼べない」物理学科のやつは話が理論的すぎる。

理系が多い集団なので、女性の人数は少なく、自然と恋愛関係は男による取り合いとなった。誰も化粧っ気がなく、ジーンズとパーカーの女性部員たちは、理系男性大学生(経験値少)にとって、最も好きになりやすい要素を兼ね備えていた。あちらこちらでひっついたり離れたりを繰り返しながらも、飛行機はできあがっていった。

しかし、よりによって、Pの現役最後の大会の時に、存続の危機となるような三角関係が生まれてしまった。2002年のお正月ごろ、コックピット担当Tと操舵担当のCが付き合い始めたのは、宮城のおいしいものを食べに行く、という趣味があったからだと言っていた。しかし、春が終わる頃には、パイロットであるNが、Cを奪ってしまったのだ。Cは航空宇宙が大好きな女の子で、NASAのTシャツを愛用していた。そのCが、NとNASAのワッペンがついたペアルックのつなぎで作業場に現れた時、Tの顔はこの世のものとは思えないほど歪んでいた。

そして、Tは作業場に来なくなった。これはまずい。このままでは、コックピットが完成しない。Pは、Tを居酒屋に呼び出すことにした。迎えるメンバーは、CとNを除いたパートリーダー達、つまり、プロペラ、駆動、フェアリング、主翼の4名である。

学生にしてはちょっといい居酒屋である「S亭」に集まり、日本酒を飲んだ。網で三陸産のホタテを焼き、昆布だしの海鮮鍋をつつく。みんなバカ話に終始しており、本題に切り込むことはできなかった。無言で酒を飲み続けるT。このままでは、何も実りのないまま、コックピットは完成しない。しかし、誰も、何も言えない。恋愛のアドバイスをするには、このメンバーの経験値は「永遠の0」だった。

Pは、いたたまれず、席を立ち、タバコを吸いに外に出る。そこに、Tもついてきた。何を話せばいいのかわからない。「Pさあ、なんで人力飛行機つくってるの?」「え、なんでって・・・さあ、なんでだろう?」「すごくつらいじゃん、これって。夜遅くまで作業してさ、木屑まみれになって、バイトしてもその金を飛行機の運送費用にして、テストとレポートと実験もやんなきゃいけないし」「まあ、そうだよね。こんな学生生活になるとは、高校の俺は知らないだろうなあ」「合コンとか、行く暇もないし」「行っても、靴の裏にガムテープつけてるようなやつじゃダメだろうな」「たしかに」

「まあでも、日本一を目指せる機会って、たぶんこれからの人生でもうないと思うんだよね。」Pは思ったことをそのまんま伝えることにする。「どれだけいい会社に就職したり、研究者として大学に残ったりしても、日本一になれるのって、多分これが最後のチャンスだと思うから。何かそれに向かって、がんばったっていう経験は、いい思い出になるかな〜と思って。まったく就職が有利になったりはしないけど。」「・・・」

宴席に戻り、そろそろ解散か、という時、「ガッ」Tは日本酒が入ったおちょこを机に置いて、口を開いた。「俺さあ・・・このサークル」誰もが、一瞬で察した。やばい。こいつは辞めるつもりだ。こいつに辞められたら、もう俺たちの飛行機が琵琶湖を飛ぶことはない。先輩達にどう顔向けする?後輩達になんて説明する?TV局の担当にも連絡しないといけない?そんなことより、自分自身のこれまでの努力は?あの徹夜は?深夜のジュースをかけたじゃんけんは?この青春は?まるで走馬灯のように、これまでの思い出がかけめぐる。やめろT。辞めるのをやめろ。

「俺さあ、・・・このサークルで・・・・いいコックピットつくるよ。」

「T〜〜〜〜〜〜!!!」

こうして、俺たちの飛行機は琵琶湖を舞った。飛行距離は1200メートルを超え、3位という結果であった。日本一にはなれなかったが、やることはやった。Pは、みんなで何かをつくる仕事もいいかもな、とぼんやり思っていた。

「Pはさあ、なんか、言葉で人を説得するとか、そういう仕事がいいんじゃない?」「え、なんで?」打ち上げの席で、Tがポロッと言った言葉がやけに記憶に残っていた。


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