vol.202/ “幸福感を感じる選択”を増やす、根付かせる
2023年の年末に書いた自分の記事を読み返し、もう一度自分の考えるsayonaraが現在できているのか、そして購入の基準がブレていないかについて考えることにした。それはそれは恐ろしいもので、出来ているもの/出来ていないものがしっかりあることが判明した。
例えば夏のSALEはやはり惑わされやすく、買う基準がブレ易くなることを激しく痛感した今。“新しくした方が良いかも知れない”という、誰に言われたわけでもないのにそう思わされるような感覚に(勝手に)陥ってしまい購入したものがいくつかあったし、“安い今のうちに買わないと!”の感覚も同様。この感情が湧き上がるシステムがものすごいことに加え、自分もだいぶ惑わされたと反省だしなんだか悔しい…!!!(買ったものはもちろん大切に着たり使用したりしているから無駄ではないが、でも…!!!)そもそもSALEを覗くことでそういう気持ちに持っていかれるのだから、それなら見なきゃ良い、覗かなければ良いじゃないかと冷静になれば思うのだが、人間中々上手くいかない。資本主義の誘惑はとんでもなくたくさん。そんな言い訳より何より、自分の買い物の基準がブレてしまったことが一番の原因だった。
“買い物は投票である”という基準を今一度自分の真ん中に定義付けたい。ちゃんと自分の中で“推せる”企業であるか、地球環境のことや働く人間、作る人間にとって、安心安全であり且つ対価がしっかりとあるか。買う一歩手前の段階で自分で調べて腹落ちさせてから購入に至ることがどれだけ大切か。そこまで含め“買い物は投票である”を今一度真ん中に置き直そう。
逆に上手く出来ていると思えることもちゃんとあったのが救いだ。例えば食材に関して、その日のうちに調理していただくのであれば、おつとめ品から見つけ出すことが増えた。少し傷んだ部分があればそこのみカットすれば問題なくいただけるし、熟が進み甘さが増したり旨味が増したりしていてより美味しくいただけるものがほとんどだ。この子たちを破棄させず救ってあげられたかも知れない…!という感情はマインドにおいても結構大切なのでは?と思えるくらいどこか幸福感で包まれる。そういった“幸福感を感じる選択”もしっかり自分に根付き始めていることもちゃんと見てあげよう。
“未来のためにできること”と考えると、とってもとっても大きなことを成し遂げなければならない気がするかも知れない。私もそのように身構えていたことがあったし、今も時々揺り戻される。でもきっと本当に小さな日々の選択で未来のためになることってたくさんたくさんあるはず。まずは自分が幸福感を感じる選択はどのようなものであるか、またその選択は自分だけでなく、作り手売り手、引いては社会全体地球環境においても幸せな選択か。少しずつ徐々に、その視野を広げていけたら良いのだと思う。時に今回の私のようにこの定義が揺れたり薄れたりすることがあるはず。でもやはり自分で初めに定義付けさえしていれば、たとえ揺れてもブレても定義の真ん中へ戻って来られるから大丈夫!そんなふうに周りを、そして全体の幸せを思って考えられていること自体に意味があると思うし、これこそ未来のためになるのだと私は思って今日も幸福感を感じる選択をしていく。
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