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【インディーゲーム】好きに巡り会う熱中

こんばんは、どぅんびです。
インディーゲームコンテストの一次審査が現在されている最中であります。
私はいま、ゲーム制作はいったん置いておいて表現のレベルを上げるためにイラストの練習をずっとしています。

YouTubeにはプロの方の講座が沢山あり基礎の基礎から学んでいる最中です。やっていて思うのは、なぜ今までこのような作業をしてこなかったのだろうと疑問がたくさん浮かんでくるのです。

そういえば小学校の頃はイラストクラブなんかにも所属していた気がするのですが、体系的に学べるものではなく、好きなものを好きなように書こうといった趣旨でした。
あの頃は、周りにイラストが上手な友達がいて切磋琢磨していた気もするのですが、中学校になる頃には全てを投げ出していた思い出がよみがえります。

おそらく、私が今触れている情報にアクセスできていたなら、もしかするとイラストを描くことは継続できていたのではと意味のない想像も膨らむのですがそれは一旦置いておきます。

なぜ大人になって熱中できることに、昔は熱中できなかったのだろうか。
イラストで言えば、正しい努力が分からなかった、描いても描いても上手く描けない。なんで描けないのかよく分からない。その経験が積み重なって、投げ出したんだと思います。

不思議なことに、ちゃんと有識者からコツやポイントを学べるだけで、イラストを描くのが好きという気持ちは再燃しました。
当時買ったスケッチブックは半分も使わず、描いたものと言えば漫画のワンピースの絵を模写したものばかりでした。そのうち燃えるゴミになったと記憶していますが、最近使っているものは3週間程度でほぼ全てのページを使ってしまいました(息子用に買ったものだったのですが...笑)。紙以外にもデジタルで絵も描いているので、練習量としては当時の1年分を余裕で超えています。

このように書いてしまうと、それはきっとあなたがイラスト描くのが好きじゃなかったんだよ、という声も聞こえてきそうですが、もっと小さい頃からホワイトボードや黒板に絵をたくさん描いていた記憶があるので私は、確かに、イラストを描くことは昔から好きだったのだと認識しています。

どこかで人と比べることを覚えて、それから逃れられなくなって、逃げ出した。それが一番当てはまる。悪いことではないし、よくあることだよね、とも思います。ただ、こうして20年の時を経て、再度挑戦する機会を持てることに喜びを感じます。

いつか書いた気がするのですが、私は努力したことがない人生でした。熱中したと言えることがない人生でした。必要に応じて、就活なら最近ではガクチカなんて言ったりしますが、適当にその場しのぎのことを言っていました。

好きでやってるけど熱中じゃない。惰性の延長、暇つぶしの言い訳、多分そんな活動ばかりでした。主体的だけど本気じゃない、やりたいような実はどっちでもいい、曖昧な人生だったなあと。それはそれで良いですし、それなりに楽しかったのですが今は明確に違います。

熱中があり好きが明確に見えてきた。そんな感覚です。恐らく今後もゲーム制作を軸に自分の道を切り開いていくのだと思います。

ゲーム制作は続けていきたいのですが、同時にYouTube熱も徐々に再燃し始めていて、ゲームエンジンを使った子供向けの動画制作を検討し始めていたりします。

当時、YouTubeに動画投稿を始めた時には、「カメラで撮った映像」「ゲームの映像」を編集するといった幅でしか表現ができませんでした。
今は2D、3Dを使った映像も制作できるので当時はできなかった映像の表現が出来るようになっていたことに先日気がついたのです。

熱中が産んでくれた私の軸はこれからも、根を伸ばして強固になってくれそうな気がしています。
もっと上手にイラストが描けるようになりましたらまたTwitterやnoteで公開しますので楽しんでもらえれば幸いです。

ゲーム制作も徐々に進めていこうと思います。いつも最後まで読んで頂きありがとうございます。



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