人生は小説より作為的
「あの時は○○だったなぁ」って昔を思い出す時、過去との距離感が徐々に遠のく感じがする。
遠距離恋愛は続きにくいし、離れた身内・知人とは疎遠になる。そんな「距離感」っていう感覚は、時間軸にも存在する。
時間の距離感が、だんだん遠くなっていく。
しかも、いまの僕らが触れる情報は、量・スピードともに増え続ける。時間的距離感の増量が、時代を追うごとにより増えている。
あの頃「昔」だった物語が、「昔々」になっていく。
一度「昔」になったものは、二度と「いま」にはならない。これからも、ずーっと。「昔」の積み重ねが人生そのもの。
そして思い出は、昔話やおとぎ話のように、「本当の物語」から勝手に変わっていく。
在ったことが無かったことに。
無かったことが在ったことに。
「あの時僕はどう思ったんだろう」なんて、自分を100%思い出すことは難しい。
だから僕らは、「あの時こうすればよかった…」なんて後悔する必要はない。
「あの時の自分」を思い出せる人なんて居ない。必ずいまの自分が、フィルターを掛けてくる。
鏡に反射している自分の姿は、本当の自分の印象とは違うらしい。
だったら目に見えない物事なんて分かる訳がない。
もしも「いまの自分が苦しい」と思うなら、それは「過去の自分」のせいじゃない。「いま」の自分がそう感じる、っていう。ただそれだけ。
「他人と比較して辛い」時は、過去の他人と比べてしまっている。「他人の実績=過去」と「フィルターを掛けた自分の実績=過去」を比較している。「他人の過去」は、その他人"張本人"ですら100%は思い出せない。
「いまの自分」を作り上げた物語は「過去」だけど、「いまの自分」は紛れもなく「いまの自分」のもの。
「イマココ」ですらない。そんな客観性すら要らない。「いまの自分」ってだけ。
いままでといまからの間に或る、"本当"の「いま」の感覚を見つけて味わう。それ以上求めるべき物は、本来なにも無い。
過去や未来の「距離感」は増すばかりなのに、過去(思い出や実績)と未来(予測や不安)に触れやすい世の中。
そんな中で、本当の「いま」を見失わないように生きれると楽なのかもね。
▼着想元:
フジファブリック「若者のすべて」
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