栗鼠の親子:一月 前編


 師走、とはよく言ったもので、私は誰の師になったつもりもないが仕事に生活と東奔西走し、あっ、と言う間にクリスマス、大晦日、正月が過ぎ去っていく。
 妻との結婚生活も六年目を迎え、都合五回も一連のイベントを共に過ごせば、それは穏やかな日常に変わる。
 一年の区切りを日常の連続だと認識できるようになったのは、いくつの頃だったろうか。
 流れる時間はとても愛しい、平和な日常。
 一月、季節は冬、真っ只中。
 
 今でこそ、雪とは無縁の暮らしをしているものの、私の出身地方は豪雪地帯で、正月ともなれば毎年雪かき三昧であった。
 冬休みの子どもの仕事といえばこれで、近所の子どもらで集まって、お年寄りの家を周ってやったりなんかして、集めた雪でかまくらを作る。
 普段はあんまり話さない大人達がこぞって可愛がってくれて、お年玉を貰ってほくほく顔で家路につく。
 中高生くらいになれば、それに加えてスキーやスケートに出かけたりと、雪というのは大人になれば億劫なものだが子ども達の楽しみのひとつだ。
 そんな子ども時代を懐かしく思う気持ちが出てくるほどに歳を取った。

 こういった話をしていれば、妻は決まって「いいなぁ。」と言いながら口を尖らせる。
 彼女の出身地は、雪がほとんど降らない。
 学生時代に数える程度、ほんの数cm降る程度だったらしい。
 それでも交通機関は止まるし、学校は休みになって、大人たちはてんやわんや。
 子ども達は少ない雪の上辺をすくって雪合戦に勤しんだ、とは妻の談だ。
 そのうちスケートでも行こうか、と話して何年になるだろう。未だその約束は果たされていない。
 私が体力があるうちに行かなければな、と思いつつも、また今年も行く暇はなさそうだ、と自虐気味に思う。

 正月休みを終え、仕事始めも無事終わった最初の週末に、いつもの橋で紫煙を燻らしながら、そういった感傷に浸っていた。
 見事な冬晴れ。
 川面はきらきらと陽光を反射して、二羽の鴨がゆらゆらと波に揺れている。
 付かず離れずの彼らは番いだろうか。
 時折、流され距離が開くと、どちらともなく近づいていく様は付き合いたての恋人のようで、自然と笑みが漏れた。

 道すがら買った缶コーヒーがぬるくなるのが早くなったことを感じながら、私は深呼吸するように右手に備えた煙草を吸う。
 冷たい空気と共に入ってくる有害物質は、肺を満たして身体を巡る。
 健康に悪いのはわかっていても、いまだどうにもやめられない。

 と、ポケットの中のスマートフォンが短い振動を伝えてきた。
 缶コーヒーを手すりに置いて、取り出すとメッセージが一件。姉からだ。

『乗り換えました。あと少しで着きます。』

 了解と一言だけ返して、妻宛にメッセージを作る。

『もうすぐ着くらしい。駅まで迎えに行ってくる。』
『了解』

 即座に来る返信は簡潔なもので、似てくるものだな、と嬉しくなった。
 さて、と、吸いかけの煙草を携帯灰皿で押し消して冷たくなった缶コーヒーを一気に飲み干すと、私は大きな伸びをして駅へと向かったのだった。

 都会の喧騒に紛れて、というほど都会でもないが大きな都市の端にある町。
 学生はまだ冬休み。社会人も今年初の週末とあって、嬉々として出かける人たちがそこそこいる商店街を抜けていく。
 正月の色は抜けても、まだ新年の色は抜けきらず、そこかしこに『新春』の文字が見える。
 紅白の彩と、淡い緑のしめ縄の色を見ると「めでたい」という気持ちになるのは、私が日本人だからだろう。

 ほどなくして着いた駅は、ここらでは小さい駅で、改札からすぐ道路。人もまばらで少し閑散としている。
 と、思えば、最近増えてきた海外から留学してきた若者の群れが、駅の改札から現れた。
 陽気なお国柄もあってか皆、楽しそうに歓談しながら。
 きっと、恐らく、歓談だろう。私に中東アジアの言葉なんてわからない。
 しかし、その笑顔と明るい声から私はなんとも言えない温かい気持ちになった。
 これが歳を取る、ということだろうか。
 見れば、道を行くお婆さんも彼らを見て笑顔で頷いている。
 ふと、お婆さんと視線が重なってしまった。
 照れ隠しに会釈をすると、お婆さんもしっかりと返してくれる。
 これもまた、なんとなく温かみを感じて嬉しくなった。

 駅の改札の奥の方から、ガラガラと小気味よい音が聞こえる。
 おっ、と思い、少し背伸びをしてみると、どうやら着いたようだ。
 栗色の髪の毛にウェーブをかけて澄ました顔。淡いクリーム色のダウンを羽織り、少し猫背で歩くのは我が姉。
 その隣にいる黒い短髪、黒いダウン、黒いパンツにボストンバッグ。姉の物であろうキャリーケースを引き、戸惑ったような渋い顔をしているのが我が甥、だろう。
 最後にあったのは何年前だったろうか。
 私の印象にある甥は、まだ小学生でその癖、身長が一七〇を超えていて、勉強嫌いで、家の手伝いも宿題もそっちのけで姉に怒られている姿だった。
 時の流れというのは凄まじく、精巧な顔つきは幼さと田舎独特の雰囲気は残るものの、好青年を絵に描いたようで、我が甥ながらなかなかの男前に育ったものだ、と思う。

 もう何年も会っていないのだから、道路を挟んで反対側にいた私には気付かないだろう。
 そう思って視線をやりながら、手を挙げようとした途端、甥と目があった。
 彼は、白い歯を見せるような、にまっ、とした笑顔を浮かべると、こちらに手を振り、横の姉に声を掛ける。
 彼の指差す方向を見る姉も、私に気がつくと、にっ、と笑顔を浮かべた。
 親子だなあ。

「ようこそ、久しぶり。二人とも。」
「久しぶりね。あんた、背、伸びた?」
「そんなわけないだろう。いくつだと思ってるんだ。」
「おじさん、オレはこの間、電話したから久しぶりじゃないよ!」

 戯けて言う甥に「こいつめ!」と飛びかかるフリをしながら詰め寄る。
「受けて立つ!」とばかりに構える甥に「やめなさいよ。恥ずかしい。」と言いながらも笑う姉。

「慣れない旅路で疲れたろう。ここから五分くらいで着くから、もう少しだけ頑張ってくれ。」
「ほんと。すごいのね。外国の人がいっぱいだし、電車は混んでるし、乗り換えなんてわたしだけじゃどうしようもなかったわ。」
「あっちじゃ、乗り換えどころか電車も滅多に使わないもんなあ。」

 姉が住む街は、故郷にほど近い場所で、田舎というほど田舎ではないけれど、まさに地方都市といった感じだ。
 当然、電車よりも車が便利で、一家に一台どころか一人一台のような暮らしをしている。
 そのくせ、豪雪地帯なものだから冬場の燃料代といったらもう…というのが近年の不況の影響で、冗談にもならないほどに笑えない。
 甥が小学生に入る頃に離婚した姉は、核家族化が進む中で二世帯家族も多いのに、実家に帰るでもなく女手一つで甥を育てているのは、なにかの意地だったのだろうか。――といっても車で三十分も走れば自分の実家も相手の実家もあるので、週末は元旦那のところに、週に何回かは自分の実家にと、慌ただしい日々を送りながら、保険のセールスレディやら、ヤクルトのおばさんやら、スナックやらとなんとか凌いでやってきたらしい。
 そんな、根性と意地で生きているような姉は、私より干支一回りも年上なのだ。
 我が姉ながら、立派なものだ、と関心する。
 もちろん、言いたいことがあるにはあるが。

 甥――ケイタはそんな母親の苦労を知ってか知らずか、のほほんとした性格の子だった。
 昔から素直で聞き分けがいい、とはちょっと言えないが、きちんと説明するとすぐ「わかったー。」と間延びした返事をする。
 何にも夢中になっている様子もなく、少し興味が出たことでもある程度すると、もういいや、とばかりに興味を失う。
 それでも、暇そうにしていることもなく、その時その時で何かを見つけ、自分なりの楽しさを見出す。
 調子に乗りやすいのが玉に瑕で、人の嫌がることこそしないが、ちょっとした軽口や冗談、悪戯が、礼儀作法に厳しいうちの母や、疲れ果てた姉の気に障って怒られる、ということをよく目にした。
 その度、私がまあまあととりなしていたのだが、ケイタといえば、怒られちゃった、失敗失敗、とばかりの様子で、私が実家を出るころには母や姉にも、仕方ない子だ、と笑われるようになっていた。

 昔、こんなことがあった。
 たまたま帰省していた私が、寝ぼけ眼で客間から出ると、廊下で夏休みの宿題をやっているケイタがいた。
 聞くと、「机にばかり向かっていると気が滅入るから。」とのことらしい。
 取り組んでいるのは習字で、新聞紙をいっぱいに広げて、フェルトの下敷きの上に半紙を置き、魂を込めるように固形墨を磨っている。
 邪魔をしないように、と静かに退散し、リビングで用意されていた食事を食べ、なんとなくテーブルの上にある新聞を読みふける。
 姉は仕事に行き、両親も買い物にでも行ったのか、家の中はしぃん、としていて心地良い。
 食器を台所に持って行って、洗い、換気扇をつけて、さて煙草でも、といったところで気が付いた。
 あまりにも静かすぎるのだ。
 実家はもはや自慢したいほどのボロ屋で、隙間風は勿論、戸を開ければぎいぎいと音を立て、網戸や窓もサッシが劣化して素直には動かない。
 床を踏めば音が鳴り、風が吹けば音が鳴る。無駄に広さはあるけれど、テレビの音は二部屋挟んでも聞こえる壁の薄さ。
 そんな中、思い返してみれば、紙を捲る音すらしない。
 書道は心を落ち着かせ静かにやるものだと思っているが、いくらなんでも静かすぎる。
 しかも、あの調子乗りのケイタがだ。
 まさか何かやらかしているのではなかろうか、そうであれば私の監督不行き届きを責められる未来が見える。
 私は、あの礼儀作法と育児にうるさい母が苦手なのだ。
 そういった自己保身を考える自分に嫌気がさし、どんなことをしていてもおじさんが責任取ってやる、と意気込んで、そっと覗く。
 するとどうだろう。
 ケイタのやつは、胡座を書いて、腕を組み、首を捻って、じぃ、っと半紙を見つめていた。
 その渋い顔たるや、まるで一流の書道家が自分の文字に納得のいっていないような、達人の集中力を持ってして見つめている。
 半紙には『平和』の二文字。
 素人目でも、お世辞にも上手とは言えないそれは、身内贔屓故か、私からはなかなか味があっていいじゃないかと思えた。

「いい字じゃないか。」
「うん。」
「どうしたんだ?」
「うん。」

 うん、ではわからん。そう思って言葉を繋ぐ。

「なにか、納得いかないの?」
「いや、宿題はこれでいいんだけど。」

 これでいいのか、とも少し思ってしまったけど、本人が言うなら良いのだろう。私は好きだし。

「ねえ、なんで平和って平和なの?」
「は?」

 思わず、素っ頓狂な声をあげてしまう。
 話を聞いてみるとこういうことらしい。
 漢字に成り立ちがあるのは学校でならった。語源というものがあるのも学校で習った。語源が、つまり音が先で、そこに漢字を当てはめていった、ということも習った。
 しかし、何故この漢字を当てはめたのかどうにもわからない。そもそも平和っていうのはなんなのか。平和に何故『平』と『和』を使ったのか。
 平らに和むとはどういうことなのか。

 そういったことを、ずっと考えていたらしい。
 ちなみに習字自体はものの一分で書き上げたそうだ。

 そんなこと、考えてもみなかった。あまりに哲学的な解答に舌を巻く。
 いつの間にやら私まで廊下に座って、二人でああでもない、こうでもないと話し込んで、うんうん唸っている間に両親――ケイタから見る祖父母が帰ってきた。

「あんた達、こんなとこでなにやってんの。片付けなさい。」

 ぴしゃり、と言い放たれ、そそくさと片付けを始める私達。
 残ったのは疑問だけ、ということもなく、二人揃って堰を切ったように、ケイタは辞典を引き、私はインターネットで調べる。
 そうして出たものを共有して、結論を出す。
 明治時代に生まれた和製漢語で、西洋の近代思想『peace』に対応する言葉として創出された。
 それまでは漢語として『和平』、つまり『戦争状態である者同士が和睦によって平静が訪れる』ことを意味する言葉を使っていたが、これは戦争状態が前提としてあるので、『peace』とは明確に違う。そこで和睦によって訪れる平静ではなく、平静によって訪れる和睦として『平和』とされた。諸説有り。

 ここまでひとつの言葉に対して真摯に向き合うことなどなかった。
 少なくとも、私はなかった。
 こうしてケイタと不思議で楽しい時間を丸一日共有して、ケイタと言えば大喜びで家族に「平和ってこういう風にできたんだって!」と語っていたが、なんともうちの家系は淡白なもので、「そうか、そうか。」で終わり、私はといえば「一緒になってそんなことしてないで、宿題のひとつでも見てやれ。」と苦言を呈される有様で、これにも舌を巻いた。

 その時以来、私が帰省する度に面白い質問をしてきて、その度に二人で話していたが、私が仕事に明け暮れ、両親との確執から帰省もしなくなり、徐々に疎遠となっていったケイタ。
 

「ケイタ、荷物どっちか持つよ。」
「いいよ。だってこれ、軽いんだぜ。ママったら服ばっか詰め込んで嵩張ってるだけなんだから。」

 そう言って、ひょい、と軽々と持ち上げてみせる。

「それより、オレ、こんな商店街見たことないから、早く行こうよ。」

 先導し始めるケイタに、本当に大きくなったな、と感慨深くなり、横の姉を見ると、呆れたような嬉しいような笑みを浮かべていた。

「二人ともお腹減ってないか?少し早いけど、商店街で何か買って帰って、昼ごはんにしようと思ってるんだ。」
「そういえば、おにぎりしか食べてないからお腹空いたかも。」
「叔父さん、オレ、寿司が食いたいなあ。」

 そういって悪戯っぽく、にまっ、と笑うケイタに「任せとけ。」と告げて歩き出す。
 先を行き、物珍しそうに様々な商店を眺めては、知らない野菜や和菓子があると店の人に聞いて回る、我が甥。
 それをいそいそと着いていき、一緒になって商店の人と話し、時折、慈愛の表情で見つめる、我が姉。
 冬晴れの商店街を、冬ごもりの支度をする季節外れの栗鼠のようにちょこまかと動機回る、仲睦まじい親子。

「いいですねえ。」
 
 ふと横を見ると、さっきの留学生たちに笑顔になっていたお婆さんがいた。

「ええ。甥と姉なんです。見ているとこちらまで元気が出ます。」

 自然と、そう返す。
 お婆さんは「わたしも、若い人たちが元気だと、いっぱい元気になれるんですよ。」と言うと、また会釈をして、ゆったりと歩き始めた。
 会釈を返して、私も二人を追う。

 
 半年前に、突然泣きながら、「オレ、どうしたらいいか。頭がぐちゃぐちゃになって、わかんないんだ。」と電話してきたケイタ。
 聡明で、不思議で、お調子もので、どこかのほほんとしていたケイタも、今や高校三年生。

 遅れてきた反抗期と、思春期の真っ只中だ。

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