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【短編】書かない小説家 二月二十一日【小説】

2023/02/21
 今朝はしっかりと目が覚めた。
 昨日はしこたま呑んで寝たはずだが、まだまだ身体は若いのかもしれない。
 そんなあり得ない妄想をしながら、煙草に火を着ける。

 相変わらず散乱している台所。
 物が多い、というのは心地良い。

 空けっぱなしの和室の戸。
 その先には昨日、そのままにした洗濯物。
 さて、どうしたものか。
 と、言ったところでやってくれる人がいるわけでもない。
 己の尻は己で拭かねば。

 と、くれば行動は早いものだ。
 数少ない私の取り柄。
 思い立ったが吉日。
 そうだ。
 まだ日も高い。
 これをさっさと終わらせてしまって、喫茶店でも行くのがいい。
 咥え煙草でそそくさと動くと目に煙が入っていかんな。
 などと考えながら、昨日、サボった洗濯を再開する。

 昨日に引き続き、今日もいい天気だ。
 青空が広がり、陽光が降り注ぐ。
 さぞかし今日も暖かいのだろう。
 そう思って窓を開ける。

 びゅん、と吹く、風。

 寒い。

 ええい!
 なんだこれは!
 春一番の次は木枯らしではないか!

 さっさ、というオノマトペがこれほど合うことがあるだろうか、という様で洗剤と柔軟剤をぶち込むとスイッチを入れる。
 家と同じくオンボロのこいつは寒くなるとなかなか電源が入らない。
 買い替えも検討することがあるが、なにまだ使える、と貧乏性が邪魔をして、そうこうしているうちに早二年、計十五年は使っている古兵だ。
 よく頑張ってくれているから労わりたいところだが、なにしろ寒い。
 電源ボタンを連打してやっと回り始めたこいつを憎々しく見つめながら、ベランダから退散。
 うう、寒い。

 コーヒーでも淹れよう。
 これでもコーヒーにはうるさいのだ。
 こだわればとことん、といった性格もあって、一時期は豆を挽くところから始め、しっかりと淹れていた。
 それは人にも好評で、来訪がある度に鼻高々で淹れていたものだ。
 しかし、それも長くは続かなかった。
 担当者の、そんな暇があるなら原稿をやってくれ、という鶴の一声にすっかり鼻っ柱を折られた私は、少しずつこだわることが無くなっていった。
 かといって、缶コーヒーやインスタントというのもなんだか味気ない。
 そう思い購入したのが、これだ。

 全自動のコーヒーメーカー。
 タンクに水を入れ、カプセルを投入すればあとはエスプレッソでもアメリカンでもボタンひとつ。
 いやはや、便利な世の中である。
 噂によると最近の家電は喋るというのだから技術革新とは素晴らしい。
 ……まあ、家電に喋られても私は困るが。

 ところでこのコーヒーメーカー。
 近所の商店街で街頭キャンペーンをやっていて、しっかり営業され、ほう、それは良い、と購入したのだが、なかなか手間が掛かる。
 清掃だとか、水抜きだとか。
 
 しかし私の良いところのひとつとして、こういう手間が嫌いではない、というところが挙げられる。
 機械には疎くないほう……だと思いたい。
 いや、疎くないので、パソコンやらスマートフォンなんかもお手のものだ。
 流石に若い者に勝てるとは思わないが、同年代に比べたらまあまあ理解して活用している方だろう。
 こういうことを言うあたり、『わかっていないタイプの老人』っぽいな、と嫌になるが。
 兎にも角にも、若い頃には『女と子ども、それに機械は手のかかる方が可愛い』とまで豪語していた私だ。
 このコーヒーメーカーの手のかかるところもまた愛らしいではないか。

 さて、水もカプセルも入れた。
 スイッチ、オン。
 と、同時にけたたましい音がする。
 陰気な部屋に響く、機械音。

 ……やかましいな。

 しかし、うまいコーヒーを飲むためだ。
 我慢しよう。

 ほどなくしてカップに注がれる濃い黒。
 香ばしい豆の香りが、ふんわりと広がっていく。
 至福だ。
 さっきまでのやかましさなど、もう気にならない。
 
 ところで私はコーヒーはアメリカン派である。
 加えて言えば、無糖のブラック党だ。
 コーヒー自体が好きなものの、エスプレッソのような濃いものを飲むとなんだか頭痛がしてしまっていかん。
 しかし、この量はどうだ。
 カップに注がれた、ほんの僅かの黒々とした液体。
 コールタールのような……などとなにかの漫画で表現しているのを見たことがあるが、全くもってその通りではないか。
 どうやらうっかりエスプレッソのボタンを押してしまったらしい。

 どうしたものか、と途方に暮れる。
 これを捨て、また淹れ直す、という選択肢。
 いや、ない。
 何処ぞ知らないが、何処かの国の何処かの農家が丹精込めて作ったコーヒー豆。
 そして美味しい一杯を沢山の人に味わって頂こうとしたメーカーの努力。
 そういったものを無駄にするのは矜持に反する。
 何より、一杯百円近くするこれを捨てるなど勿体無いではないか。
 しかし、これをこのまま飲むと、きっと私は頭痛に悩まされる。
 やはり捨てるしか……
 
 いや待てよ、と思い返す。
 確かエスプレッソというのは沸騰水を加圧状態で抽出したものであったはず。
 ならば、薄めれば問題無いのでは無いだろうか。
 よし、物は試しだ。

 コーヒーメーカーからカップを取り出し、ポットの中で保温状態になっているお湯を注ぐ。
 濃くては困るので、たっぷりと、だ。

 うむ、これでよし。
 若干、色も香りも薄まった気がするが、飲めるだろう。

 さて、では一口。

 口に広がるほろ苦さと薄い酸味。
 鼻を抜ける、薄い香り。
 焙煎された香ばしさだけが抜けていく。
 これでは、まるでホットの麦茶ではないか。

 まあ、これはこれで飲めなくはない。
 というか、認めたくないが、そこそこ美味い。
 私はホットの麦茶も好きなのだ。

 やれやれ、と煙草を一本取り出し、火を着ける。
 ふう、と深く吐き出すと煙を見つめ、考える。

 こういう日があっても、良い。
 人は経験に学ぶのだ。
 知識から予測を立て、結果を経験し、次に活かす。
 そうして人類は発展してきたのだ。

 うむ、良い経験をした。
 人の歴史に触れたというものだ。
 良い日である。
 こういう日はだらだらと本でも読んでゆっくりするに限る。
 だから、今日は何も書かない!
 
 

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