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【短編】書かない小説家 二月二十八日【小説】

2023/02/28

 書いた。
 ばんばか書いた。
 がりがりと書いた。

 その部屋に響くのはキーボードの音。
 きりりとした苦味が香るコーヒーと、人工甘味料特有のだだ甘い香り、ぷん、と立ち込めるエナジードリンク。
 それらを気分で交互に口にして、ただひたすらに。

 脳みそがごぉんごぉんと唸って、心がぎしぎしと軋む。
 身体が、ぱちぱちと焚き火に晒されて火照った、と思いきや、氷水を被って、ひゅうひゅうと吹く風に晒されて震える。
 そんな、現実なのか夢なのかわからないような感覚を、まるで機械の一部のように、どこか他人事に感じながら。

 ステージの上で喋り動き踊る者たちを、魅せるための舞台装置のように。

 紙やすりで自分の心を削っていく感覚。
 溢れんばかりの心を整えていく感覚。

 ただ、物語を書くだけのモノとなる感覚。

 たまらなく愛しい、私の時間。



 ――まあ、とにかく書いた。

 書き切った。
 このような感覚で。

「お、終わった」

 と、呟いたのは明け方五時を回ったころであった。

 伸びをすると、至る所からパキパキと音がして、首や腰を攣りそうになる。
 自分が生き物であることを実感しながら、ゆっくりと身体を伸ばして、そのままゴロンとひっくり返った。
 目を閉じると、なにやら平衡感覚がおかしくなっているのか、それとも本当に目玉がぐるんぐるんと回っているのかわからないが、地面と並行のはずなのにそのまま回転しているような錯覚を覚える。

 そのまま、うつ伏せにひっくり返って、なんとか這いあがろうともがいてみるもののの、手足をぎくしゃくと動かすだけで、またしばらく動けない。
 まるで、夏場にアスファルトの上で車に轢かれてカラカラに干からびたカエルのようだ。

 数分なのか数十分か、もしかしたら小一時間ほどそうしていると、流石に体勢がしんどくなって、仕方なしとばかりにのっそりと起き上がった。

 身体が、重い。
 スマートフォンを手に取ると、丸三日分の通知が溜まっていた。
 パソコンの見過ぎでしょぼっしょぼの眼と、もはやキーボードの打ちすぎでぷるぷるしている指先では見る気も触る気も起きず、そのまま布団に投げ捨てた。

 座ったまま、記憶の海を探る。
 三日前の朝、起き出して、のそのそと寝ぼけ眼でコンビニに行き、煙草と大福やらシュークリームといった甘味とエナジードリンクを三本、買って帰った。
 そのままパソコンの前に陣取ると、大福を食べながらカタカタと書き始めた、ところまでは覚えている。
 次の記憶は、無心でコーヒーを三杯分淹れて、それに氷を入れて常温まで冷まし、ジョッキに注いでいた。
 そのまた次は、もはや昼だろうか夜だろうかわからない。
 とにかく、けたたましく鳴り始めたスマートフォンが煩わしくて、切ってサイレントモードにし、わざわざ台所まで置きに行ったのだから、よっぽど煩わしかったのだろう。

 そこから先はの記憶となると、朧げで、ただただ書き続けていた、というものしかない。

 机の上には、散乱した缶とゴミ、マグカップと、ジョッキ。
 海苔のカケラの付いたラップが残っていることから、何かを察して気を利かせた妻が、合鍵を使ってそっと入ってきて置いて行ってくれたのだろう。
 食った記憶も、会話をした記憶も、ない。

「うぼぁー」

 変な声が漏れた。
 脳みそが死んでいる。

 とりあえず、ゴミだけでも、とビニール袋を広げ、山盛りになった灰皿を片付ける。
 逆さにした途端、もわっ、と、灰が舞ってしまって、電気に照らされたそれが、疲れてしょぼしょぼになった目にはお天気カメラに映る吹雪のように見えた。
 もうひとつの袋に缶を詰めて、結び、とりあえず持てるだけのマグカップを持って、台所に運ぶ。
 よっこいせ、と立ち上がるときにも腰や足がパキパキと音を鳴らす。

 台所の大きなゴミ箱を開けると、それも満杯で、仕方なくまた、よっこいせ、と袋を取り出し結んでいく。
 何回か部屋と台所を行ったり来たりしてゴミをまとめてしまう。

 飲みかけのエナジードリンクを飲み干し、さて、一服、とばかりに煙草に火をつけた。

「ゲッホッゴホッゴホ」

 ……むせた。
 一気に煙を吸いすぎだ。
 もはや、呼吸のコントロールも出来ぬほどとは。
 老いを感じる。

 そう感じたタイミングで、そんなことないよ、とばかりに腹が可愛らしく鳴いた。

 食べたい。
 脂っこい、こってりしたものが食べたい。

 この時間だと、ランチには少し遅い。
 中華……いや、待て。
 今日は火曜日、らーめん屋が開いているな。

 よし、らーめんを食いに行こう。

 そうと決めたら、私は早いのだ!
 タオル片手にさっさと服を脱ぎ、風呂場に向かう。
 私の脱衣シーンやらシャワーシーンなど、どこに需要があるのだ、と思うので割愛させて頂くが、とにかく、烏の行水もかくやという速度で風呂に入る。

 と、思っていたのだが、しっかりと身体を隅々まで洗い、髭も整え、たっぷり湯船に浸かり、風呂から出たのは一時間後だった。
 仕方ない。
 風呂が好きなのだ。
 湯船に浸かると、どこからともなく、人にお勧めされて仕方なく見たSFアニメの台詞が脳内に響き渡る。
 あれはあまり私の好みでなかったが、世間では大層な評価を受けていると言われ、全部見た。
 結果、脳内に残ったのは至極真っ当な人間としてどう生きるか、人とどう付き合うべきか、という哲学的な問答と、風呂は命の洗濯よ、というこれも至極真っ当で真理であると言える台詞だけだった。

 そうこう思い出しているうちに支度を終えた私は、つっかけを履いて外に出る。
 五分も歩けば駅前のらーめん屋だ。
 時間も時間なので、店内は閑散としていた。

「らっしゃい、なんだ、先生じゃねえか」
「なんだ、はないだろう。それと、先生はよしてくれ」

 勢いのいい挨拶と、顔を覚えてもらっているという微かな優越感。
 大将は、ははは、と笑いながら水を出してくれる。

「らーめん、大盛り。背脂増しで」
「あいよ! ライス、サービスであるけどどうします?」

 悩む。
 ここのらーめんには米が合う。
 しかし、この歳だ。
 身体のことを考えると……
 ええい、腹は減っているんだ!
 たまにはいいだろう!

「ライス、小盛りで」
「あいよ」

 しばしの間、待つ。
 しまったな、本でも持ってくればよかったか、と思っているうちに

「おまちどう!」

 との台詞と共に、でかい器が置かれた。

 醤油と豚骨のそそる香り。
 肉厚なチャーシューは小ぶりだが四枚も入っている。
 しっかりと浮いている背脂に心が踊る。

 スープを一口。

 これだ。

 口に入れた途端、醤油の和の味と、豚骨の甘み、強い塩分の中に溶け出した滋養の優しさを感じられる味。

 お次は麺。

 麺はちぢれ麺でよくスープに絡む。
 噛み締めるとしっかりと小麦の味が感じられる。

 これなのだ。
 まさに至福。
 今、この時のために生きていたと言っても過言でもないほどに。

 そうして、ライスもおかわりまでして、あっという間に食べ切った。

 家に着き、少し食べ過ぎたか、とも思ったが、身体も心も確かな満足を感じられる。
 よし、このまま寝てしまおう。
 やることはやったのだ。
 誰も文句は言うまい。

 そう思い、さっさと寝巻きに着替えて布団に入った。

 ……眠れない。
 三日間の過酷な執筆で脳はいまだに存分にアドレナリンを生み出していて、さらには先ほど飲み干したエナジードリンク。
 なんとも、言うことの聞かない身体である。

 ええい、仕方ない。
 本でも読もう。
 存分に酷使してやろうじゃないか!
 そうだ!
 片っ端から読んでやる!
 そして、また書けばいいのだ!

 だから、今日は書かない!

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