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【短編】書かない小説家 二月二十三日【小説】

2023/02/23

 本当に、なんとなく、だった。
 それをこれほど後悔しようとは。

 布団の中からでも億劫な天気であることがわかるほどに、どんよりとした湿度を感じさせる空気。
 気怠い身体に、鞭を打って、いつも通り台所へ行き、煙草に火をつける。
 心無しかしっとりとしている煙草の葉は、外の様子を表しているようだ。

 意を決して、というにはだらだらと気怠げに和室の戸を開け網入りガラス越しの空を見ると、その景色といったら、まるでカミナリ様がどんどこ太鼓を鳴らしながら準備体操をしている様子が浮かぶような、どんよりと黒い曇。
 もはや、雨が降っていないのがおかしいと思うほどの黒々とした雲は、降らせなくとも十分とばかりに湿度を放っていてじめじめと薄暗い。

 なんとも嫌な天気である。
 それでいて春の兆しか、いくらか気温は暖かいのだから、余計に嫌になる。
 これでは出かける気にもなれないし、なんなら家事も仕事もする気にならない。
 ……ならないったら、ならないのだ。
 晴れでもしていれば散歩にでも行って、今日こそ喫茶店で読書でも、なんて気も起きるものだが、この天気。
 いつ降り出すともわからない。
 スマートフォンの天気予報くらい見ればいいのだろうが、どうにも昭和の田舎地方生まれの私は天気といえば空と風、それに湿度を見る癖があって、それを大きく外すこともない。
 と、言えば、思い込みで都合の悪いことを忘れているだけだろう、と言われるがこれに関しては本当によく当たる。
 だから、今日はよくない。
 よくないったら、よくないのだ。

 背中を丸めうなだれて、台所に戻ると、煙草をガラスの灰皿にぐりぐりと押し消した。
 電気ポットで湯を沸かす気力も湧かないので、給湯器の温度を馬鹿みたいにに上げて、湯を出す。
 それをカップに一杯注いで、ちびちびと飲む。
 なんとも、みじめな気持ちである。

 仕方がない。
 昼になるが、昼食も作る気にもなれず、湯でいくらか腹も温まったことだし布団でゴロゴロしよう。
 そう思い、のそのそと布団に戻る。
 ベッドの上で端に追いやられた布団と毛布を綺麗に直し、いざ参ろう、夢の世界へ。

 と、枕元に置きっぱなしだったスマートフォンが目に入った。

 そうだ。
 たまにはゲームなどしてみるか。

 これでも機械類は得意な方だと自負している。
 最近の小説家といえばスマートフォンだとかパソコンを使いこなせなければ、やはり今時のモノは書けないし、何より執筆に便利である。
 喫茶店でインベーダーゲームを見たことがあるような世代ではあるが、それこそゲームなどというのは技術の革新でありアニメと共に平成の世からのサブカルチャーの代名詞である。
 そういったものが私は大好きであるし、世間でよく聞くようなこういうものを馬鹿にした発言には幾度となく苦言を呈したいと思ったことだが……まあこの話はいい。
 とにかく私は、ゲームというものも好きなのだ。

 と、いうわけで、ごろりと横になり、モゾモゾと布団に潜り込むとアプリストアを開いて物色する。
 こういうものはしばらく見ないとまるで初めての店に入ったかのように錯覚するくらい目新しいもので、見ているだけでも楽しいものだ。
 
 ロールプレイングゲーム。
 いや、時間があっという間に過ぎてしまうからダメだ。
 ゲームと馬鹿にすることなかれ。
 この手のものはストーリーも音楽もしっかりと作り込まれていて、これでも小説家の端くれたる私が、してやられた、と舌を巻く展開が待ち受けているものもある。
 そうすると私は、なにか負けたような悔しい気持ちになるのだ。
 
 アクションゲーム。
 いや、この年齢だ。
 うまくやれる自信がない。
 そういえば、あの世界的に有名な赤いツナギの配管工が主人公のやつなど、しばらくやっていないな。
 今度、機会があれば買ってみるか。

 オンラインゲーム。
 先と同様、うまくできる自信がない。
 それに、こういうのをやるのは若い人だろう。
 そこに混じって私のようなのとチームを組んで、というのも迷惑をかけるようでどうにも気が引ける。

 パズルゲーム。
 昔から苦手なのだ。
 ブロックを並べて消すタイプのものも、よくわからない生き物めいたものを同じ色で並べて消すタイプのものも。
 できればもう少し単純なものがよい。

 ううむ、困ったぞ。
 なかなか決められない。
 しかし、この時間はなんともいいものだ。
 レンタルビデオ店で何の映画を借りるか迷っているような、図書館で今週はどの本にしようか悩んでいるような、幼き日に母に手を引かれ行った買い物で、お菓子はひとつだけよ、と言われているような。

 うむ、悪くない。

 そうしているうちに、ひとつのゲームが目に止まった。

 昭和を題材とした下町の商店街から成り上がりを狙うゲームだ。
 この手のものは数多く出ているが、システムはだいたい似通っていて、単純だ。
 指示通りに街や商店を発展させていき、ガチャガチャを引いてヒロインめいたキャラを当てる。
 ただ、それだけの、もはやゲームなのか、と疑わしいゲーム。
 しかし、テーマが良いのか、絵柄も謳い文句もなかなか
 昭和世代の私にくるものがあった。

 よしよし、これにしよう。

 あっ、という間にインストールが終わり、ゲームを起動する。
 なんとなく郷愁的な音楽と共に、懐かしさを覚えるような商店街が映し出される。
 主人公は、失敗した自分の人生をやり直すためにタイムスリップして祖母の駄菓子屋から億万長者へと成り上がりを目指す、というストーリーらしい。
 こういった無骨な荒唐無稽さも、この手のゲームのいいところだ。
 私には到底思いつかないし、思いついたとて、書こうと思わないだろう。
 それをひとつの作品にするのだから、素晴らしいという他ない。

 そうこうして、どこまで続くかわからない、もしくは永遠と続くチュートリアルの如きストーリーを進め、指示通りにゲームをやる。
 次々と現れる、昭和な世界。

 三輪車で露天販売に行っての叩き売り。
 切符を切る、駅員。
 バタークリームが主だったころのケーキ屋。
 学生運動に精を出す学生たち。
 古めかしい郵便ポストや、昔ながらの映画館。

 さすがに古すぎて私も実際にはお目にかかったことのないようなものもあるが、うむ、なんというのだったか。
 この感情。
 確か、若者言葉で、ここ数年に流行っていた……

 ――エモい。

 これだ。
 うむ。しっくりきた。
 おそらくこういうことを言うのだろう。
 実際を知らないのであるから懐かしむわけではないが、どこかしみじみとするこの感情。
 そうか、これがエモいというものなんだな。

 言葉というのは、面白い。
 昔の作家たちは、ここにない概念を西洋から取り入れるときに、新たに日本語を創造することが多々あった。
 それを現代の若者たちがやっている、というのは流行を作るものが一部の人ではなく大衆に移り変わったようで、一人の小説家としては寂しい気持ちもあるが、それは誰しもがそれだけの教養を得られたという気がして誇らしい。
 もちろん、問題点もたくさんあるだろう。
 しかし、こういった優れたところを認めて見守っていくのも、きっと先人としての役割なのだろうと思う。

 と、いかん、いかん。
 どうにも懐かしい気持ちでいるとこういったことを考え耽ってしまう。

 と、そこで私は、はっ、と気がついたのだ。

 スマートフォンを操作し、時計を見ると、時刻は夜八時を回っていた。

 なんということだ。
 昼から初めて、八時間。
 何をやっているんだ、私は。

 ええい!
 今日はもう飯を食って、風呂に入って、眠くなるまでとことん、このゲームをやって寝るぞ!
 だから、今日は書かない!

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