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【リレー小説】どうぞ、こんな日には一杯のココアを。

※◯◯ちゃんとのリレー小説です。

前編はこちら




 定時に上がって、買物をしている最中のことだった。
 なんとなく商品棚をうろうろしていると、ココアが目に入った。

 朝のやり取りを思い出す。
 入社二年目になり新人ともだんだん言えなくなってきた後輩。
 その疲れ切って毎日ぎりぎりでなんとか仕事をこなしていた後輩――佐々木が今朝は珍しく明るかった。
 それに安堵して、なんとなく声をかけると佐々木は言った。

「ココアのおかげかな」

 眩しい笑顔と裏腹に、その目には情熱の灯火が宿っていた。
 俺には忘れてしまった灯火だ。

 自嘲気味に笑いながら、買物を済ませて帰る。

 適当に飯を食って、風呂に入る。
 いつも通り業界傾向や知識を得るため、ネットと本の世界に潜る。
 俺にとっての家は、それだけの場所だ。
 朝から開けっ放しにして出勤してしまった窓をそのままに、その日は寝た。

 春の陽気にしては寝苦しい夜だった。

 さすがに段々と冷たい風が入り込んでくるようになって、目が冷めた。

 冬模様のままの布団と毛布を一心に被って寝ていたのだろう。
 ミノムシのように丸まっている自分がなんだか幼子のようで、自嘲してしまった。

 時計を見る。

「まだ起きるには早い、か」

 いつもなら、こうして早く目が冷めた日はさっさと準備をして出勤してしまっていた。
 仕事のためにがらんどうになった自室を見て、寒さが身に沁みる。
 そんな生活にも慣れたし、何より今の仕事が好きだからこれでいい。
 これでいいはずなのだ。
 でも、この寒さは――

 それを誤魔化すように、毛布に包まると、思考の渦は途切れていった。



 ――暖かい。
 毛布ではない、暖かさ。
 柔らかい空気に、コーヒー豆の炒った香り。
 どこかふんわりと甘い温かさ。

 ゆっくりと目を開けると、俺は椅子に座っていた。
 ぼんやりとわかるのは、ここが喫茶店だということ。
 丸椅子のカウンター席に座って、うつろに前だけを見ていた。

「いらっしゃい、お客さん」

 視界の外から、ぬっと出てきたのは、バカでかいぬいぐるみをこれでもかと、とにかくデカく、ふわっふわにしたようなクマだった。
 圧倒されながらも安心するのは、これが夢だからだろうか。
 それともそのクマの毛色が包まっていた毛布と同じだったからだろうか。

「こちらをどうぞ」

 そう言って手渡されたメニュー表に記されていたのは、ひとつ。

『ココア』

 ――婆ちゃんがよく淹れてくれたっけ。

「ココアをひとつ、お願いします」
 自然に声が出た。
 クマはそれを聞いて満足げに頷く。

 ティースプーン3杯分マグカップにいれて、少しお湯をいれて練る。
 粉っぽさがなくなってきたらお湯を追加して混ぜる。
 そしてできあがったココアに氷をひとつ。
 くるくる回る氷を眺めていた。
 この氷みたいにくるくる回って、溶けていくのがおもしろくて、小さいころはよくせがんだんだった。

 ぼやけた頭で、周りを見渡す。
 客は俺ひとり。
 赤みかかった茶色のソファ、えんじ色の床。
 それに合う調度品の数々。
 淡い光を放つシャンデリア。
 温かい、店。

 大窓がひとつ、あった。
 枯れ木の隙間から曇り空が見えた。
 ふわりふわり、牡丹雪が舞っていた。

「冬、か」

 雪が嫌いだった。
 人間関係で雁字搦めになるような田舎が嫌いだった。
 だから、都会に出た。
 人材派遣会社に就職したのは、なんでだったか。
 当たり前のように仕事をこなし、当たり前のように人を使う。
 それに慣れたのはいつからだったか。
 多くの場合、それで問題はなかった。
 雪のように冷たい心でいれば、問題なかった。
 仕事はできる。
 覚えもいい。
 でも、冷たい。
 そんな人間になっていくことをどこか悔やんでいたのかもしれない。
 ときたま居るのだ。
 情熱を持って仕事をして悔やんでも悔やみきれず、自分の不甲斐なさを捨てられない人間。
 熱い、とても熱い雪を溶かすような人。
 後輩として入ってきた、佐々木はそういった人だった。
 早くそんな熱を冷まして、楽になれよ。
 そう思って声をかけ続けた。


「はい、どうぞ」

 思案していると、目の前にココアが置かれる。
 頼んでもいないのに氷がひとつ、浮かんでいる。

「ははっ」

 思わず笑いが漏れた。
 氷に映った俺の顔ときたら、雪よりも、氷よりも冷たい顔をしていたから。
 それをスプーンでくるくるとかき混ぜて、溶かす。
 そうじゃないよな、と思いながら。

 人を助けるのが、好き。
 人と人を繋げるのが好き。
 人が困っているのを見過ごせない。
 佐々木は、そういう人だった。
 入社一年目にしてはヘビーな問題に遭遇したと思う。
 でも、この業界、そんなものだ。
 いちいち気にしていてはもたない。
 黙って、俺を頼ればいいのに。
 そんなことは口が割けても言えなかった。
 彼女の努力と根性を否定したくなかった。
 だから、先日だって柄にもなく呑みに誘った。
 たかだか数年先に生まれただけのくせして、慣れないことをするから、出てくるのは先輩風を吹かせるだけの乾いた台詞だった。

『俺も新人の頃はいろいろあったよ。たまたま運がよかったのか、佐々木みたいなヘビーなのには当たらなかっただけでさ』
『もう少し肩の力抜けよ。このままじゃお前本当に潰れるぞ』

 もっと素直に言えりゃ、いいのに。
 仕事くらい、いくらでも教えられる。
 困ったときくらい、いくらでも手助けできる。
 お前はひとりじゃない。

 そんな台詞も吐く度胸のない自分に嫌気がさす。

 目の前のココアからはすっかり氷が消えていた。
 でも、なぜだか飲む気は起きない。

「お客さん、大丈夫ですよ」

 いつの間にか目の前にいたクマが言う。

「この店にはね、お客さんみたいな人がよく来るんですよ。でもね、みんな晴れた顔で帰っていく」

 都合の良い夢だ。

「お客さん、大事な何か見逃してませんか」

 それだけ言うとクマは下がっていった。
 大事な何か。
 俺は、どうしたかったんだろう。
 ココアを見つめ、一口飲む。
 まだ少しだけ熱を感じるココアが芯を熱くさせる。
 今までのことを思い返してみる。
 仕事を覚えることに精一杯だった入社初期、独り立ちして不安だったあの頃、そして後輩ができた今。

「私も、五十嵐先輩みたいになりたいです」

 泣きながら絞り出すような声がした方を振り返るけれどそこには誰もいない。

 ココアをもう一口。
 先程より、熱が戻ってきた。

 そうだ。俺は伝えなければいけない。
 変わらなければいけない。
 彼女が俺のようにがらんどうに、冷たくならないように。
 その熱を帯びたまま、できるように。
 もう、目の前のことだけこなしていればいいわけじゃない。
 向き合うのは目の前だけじゃない。

 残ったココアを一気に飲み干す。
 甘さとほろ苦さと熱が、体中に広がる。

 そうじゃないか。
 人を助けるのが、好きだった。
 人と人を繋げるのが好きたっだ。
 人が困っているのを見過ごせなかった。
 なにより、人と繋がるのが好きだった。
 もう大丈夫だ。
 俺は、俺と向き合える。

 そう思えた瞬間「ありがとうございました」とクマの声が聞こえた気がした。




 ぱちりと目が冷めた。
 アラームが鳴る一分前。
 鳴らしてなるものか、と先に解除してやる。
 いつもよりゆっくり、といっても遅刻は絶対にしない時間。
 開けっ放しの窓から見える空は綺麗な青空が広がっていた。

 いい夢を見た気がする。
 が、どうでもいい。さて、仕事だ。

 出掛けに自販機に寄った。
 いつも缶コーヒーを買う自販機だ。
 そこに、だいぶ暖かくなったというのにホットのココアが並んでいるのが目に入った。
 だから――

「おはよう」
「おはようございますー」

 早くに来ていたのだろう。
 佐々木が、むうと唸りながらパソコンとにらめっこしていた。

「佐々木」
「はい?」

 名前を呼ぶと、不思議そうにこちらを向く彼女。
 その純粋な部分が、少し羨ましい。

「ほれ」
「えっ、あっ、ココアだ」

 一本を机に置いてやる。
 もう一本のプルタブを開けて、自分で飲む。

「よし、今日もやるぞ」
「……五十嵐先輩、今日なんか元気?ですね?」

 訝しげに顔を伺う佐々木に笑ってしまう。

「そうかな。ココアのおかげだよ」

 そう返すと、佐々木は嬉しそうに笑った。









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