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【連載版】106つ、または107つ、ないし108つのジョー・レアルの生首 105

【前回】

●105
 柱の上まで達した炎は、ついに天井をも焦がしはじめた。広くしっかりした作りとは言えしょせん廃墟のバーだ。上に燃え移り、しばらくして何本かの横木が落ちれば、そのまま建物がらみ潰れてしまうかもしれない。
 俺は、肩にしがみつきながらめそめそ泣いているウエストを引きはがした。
 トゥコの死体、頭が半分吹き飛んだモーティマー、黒焦げになったブロンドの死体、それに燃えさかる「ヘンリーズ」の惨状を見まいとしているのか、こいつは下を向いて涙を流して、呼吸すらまともに制御できていない様子だった。
 俺は平手で思い切りウエストの頬を打った。呼吸は荒かったが、奴は俺の顔を見た。大きく見開かれた目に混乱と悲しみが飛び交っていたが、話を聞く理性はかろうじて残っているようだった。
「よく聞けウエスト」
 俺は奴の右肩を思い切り掴んで、威嚇するように言った。
「よく聞くんだ。聞けよ。ジョーは、あのクソッタレのジョー・レアルは、俺が殺す」
「…………」ウエストは黙って頷いた。
「106の首も賞金ももうどうでもいい。死んだ奴らの弔いでも復讐でもない。俺はあいつを殺す。殺さなきゃならない。殺さないといつまでも、あいつに怯えて生きなきゃならなくなる。わかるな?」 
「わかった。わかった──」ウエストは何度も頷きながらそう答える。
「それで、俺は、何をする? 何をしたらいい?」
「お前は──お前は、逃げろ」
「セルジオ!」大きな目が驚愕で見開かれた。「ダメだ! 俺もやる!」
 俺は右肩を思い切り、ちぎれんばかりに掴み直した。
「お前はダメだ。お前は“下っ端”だろ? こういう大仕事をやるには荷が重すぎる」
「でも」
 向こうでバキッ、と丸テーブルが燃え折れた。ウエストは短く悲鳴を上げてへたり込みそうになった。
「そら、ぽろぽろ泣いて、肩を借りないと立っていられないお前に、何かできるとは思えない。お前には何もできない。俺がやる。俺がジョーを殺る。そもそもが──お前がこんな所にいるのは、俺の責任だ」
「そんなこと言わないでくれ」ウエストの厚ぼったい唇が震える。
「強盗や追い剥ぎくらいならまだよかった。だがジョーに関わるあれに、皆殺しや濡れ衣を着せるのには、お前みたいな……『弱い』奴を巻き込むべきじゃなかった。何度も悩んでいるお前の尻を叩いて、人でなしみたいなことをさせ続けたのは他の誰でもない、俺だ」
「セルジオ……」
「だからな、お前は逃げろ。俺とジョー、2人ともおっ死ぬかも知れないが、お前だけでも逃げてくれ」
 ウエストは俺の瞳を見た。頬は涙でべたべたに濡れていたが、目からはもう涙はこぼれていなかった。
 鼻をすすってその濡れた頬を手の甲で拭いたあとには、大きな決心をした男の顔があった。「西部の男」の顔だった。
 ウエストは後ろをちらりと見た。もう床はすっかり炎にまみれているが、ところどころ穴みたいに、まだ火のついていない箇所がある。出入口も、壊れたスイングドアも、まだ健在だ。
 12歩をふた足で飛ぶこいつには、このくらいの飛び技はなんてことないだろう、と俺は思った。
「逃げたらな、もう会わないことにしよう。お前はもう独りでやっていける」
 俺の方を見つめながら、背後の炎の塀、その向こうに待つドアを狙うように下がっていくウエストに、俺はそう声をかけた。
「俺のことも、俺たちのことも、みんな忘れろ。逃げろ。どこまでも逃げて、新しい人生を送るんだ」
「……わかった。わかったよ」
 ウエストは真っ直ぐ俺を見ながら言った。
「でもな、セルジオ。俺の名前はウエストだ。ウエストが俺の名前だ。それだけは忘れない」
「……ああ、わかった。じゃあな、ウエスト」
 ウエストは踵を返したと思ったら、まるで猿のようにトン、トン、トン、と跳ねて、炎の中の飛び地を渡って行き、何事もなかったかのようにドアにたどり着き、そのままの勢いで外に走り出て行った。
 一度も振り返らなかった。

 その代わりのように、俺が振り返った。
「待っててくれた上に、奴を見逃してくれるとはな。お優しいことだ」
 俺は大きな声で言った。燃える建物から発される轟音で、声を張り上げなければ聞こえそうになかったからだ。
 俺は、真っ赤な炎を背負ったように立っている、ジョー・レアルと向かい合った。ジョーはさっきと同じ姿で待っていた。
「来た時から何度も言っただろう。俺は、何もしない」
 ジョーはやはり大きい声で返事をした。
「そうだな」
 確かにそうだった。正体を見せてからこいつがやったことと言えば、わけのわからないことを言うのと、せいぜいがウエストやブロンドの攻撃を避けたくらいだった。
 だがもう、それも終わりだ。
 俺がこの男を動かしてやる。
 そして、今度こそ本当に、間違いなく殺してやる。

 俺は腰につけたガンホルダーのボタンをプチリと外して、いつでも抜けるように準備をした。
「墓場で見たが、お前の拳銃はえらくでかく見えたぜ」
「そうか」
「その、ポンチョとかいう布の下に、まだつけてるんだろ? あの拳銃を?」
「どうかな」
「…………わかるよな? 俺が言いたいこと……やりたいことをだ?」
「……ああ、よくわかる」
 ジョーはポンチョの右側をスッと上げた。
 燃えはぜるバー「ヘンリーズ」のど真ん中。炎の熱気に包まれてゆらめくその姿と、俺は対峙した。
 さっきはウエストにああ言ったが、俺は自分が死ぬ気など毛ほどもなかった。ジョーと心中なんて御免だ。
 俺は生き残るつもりでいる。
 ジョーを殺して、ここから逃げ出す。


 ──ずっと言い忘れていたが、俺が唯一誇れる「一芸」を教えてやろう。
 
 「早撃ち」だ。

 トゥコたちと出会う前、出会ってからも、相手がひとりでも複数でも、これで負けたことはない。
 一度もだ。
 だから今、俺はこうして生きている。
 俺はこれで、この西部を渡り歩いてきた。

【続く】

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