【連載版】106つ、または107つ、ないし108つのジョー・レアルの生首 96&97
●96
ジョーに手を出すのかと思ったが、トゥコはカウンターの方へと足を向けた。
「バ、バカ! 動くな!」ウエストが詰まりながらとがめる。
「バカヤロウ! これが動かずにいられるか? 立ったり座ったりしたままでいられるか?」
トゥコはすごい剣幕でカウンターの裏に回り、箱のひとつに手を突っ込んだ。「クソッ、暗くてわかりゃしねぇ!」と声が大きく響く。
俺たちは奴の様子を呆然と見ていた。ジョーは無表情で眺めている。
トゥコは箱の中身をがちゃつかせながら、言いつのる。
「ジョーを恨んでよぅ! いろいろ策を立てて! 全てうまくいったと思ったら! 生首が212届いて! そのうちの106がこの野郎の生首だと思ってたら! ジョー本人が来て! 俺らにザンゲでもしろって言うんだぞ! こんなわけのわからん状況だ! ……そら、あった! こいつだ!」
トゥコはどん、とカウンターに封の空いていない瓶を置いた。
「よう! これが飲まずにいられるか? ってんだ!!」
ランプの暗い明かりの中で、ギラギラした目つきのトゥコが瓶のフタを開けた。
コップも不要とばかりに瓶ごと持ち上げて口につける。
そうだ、こいつはまだ、俺が襲撃の報酬にと買ってやった「リザード」に手をつけていなかった。
いま奴が飲んでいる瓶の横についているマークは、酒飲みならばみんな憧れる、トカゲのマーク──
──ではない。
そうじゃない。ランプの光でチラチラ見えるのは、トカゲではない。灰色の、もっと太った生き物の、そう、ネズミだ。いつか、そうだ、ジョーがハニーと結婚したという話を持ち込んできた日に奴が買ってきていた、あれだ、ネズミがひっくり返り、その姿に真っ赤なバツが書かれている──
殺鼠剤だ。
「トゥコ!」
俺は絶叫した。
それと同時にトゥコは瓶を口から離して、こう言った。
「……なんだ? こりゃあ……」
それが奴が、最期に飲んだモノの感想だった。
トゥコは顔をゆがめてから、胃のあたりから何かがせりあがってきたように上半身をぐりっ、とよじった。それからカポッと開いた口から、半透明で赤黒い液体を「グェエッ」と吐き出した。
腹と胸を押さえて、老いた馬みたいに全身を痙攣させながら、よろついた足取りでカウンターの裏からこっちに出てくる。
その間も間断なく、小さな身体をひきつらせ、奴は口から体液を吐き出す。逆流したそれは鼻の穴へ遡り、さらに目へと上がって、目から鼻から口から、顔の中の穴という穴から半透明の、いや、もうすでに赤黒く濁ったモノを噴き出し続けた。ちょうどそこに吊られたランプのせいで、その様子はよく見えた。
「な…… ゲェッ…… なんだ……?」
血を吐きながら断片的に呟いている。顔面はすさまじく紅潮し、そのまま膨らんで爆発してしまいそうだった。
俺たちは凍りついたようにその姿を見つめるしかなかった。
「おい…… おい…………」
吐血を続けながら右手でカウンターに寄りかかり、左手で俺たちを招く。助けを求めているのではない。自分の現状がまるで理解できなくて、誰かに尋ねたがっている様子だった。
がくん、と右手の肘の力が抜けたと同時に、ぶよついた血の塊のようなものが口から転げて出た。汚い音を立てて飛沫をあげて床に落ちたそれは内臓の一部にすら見えた。
「…………み……みず…………」
顔面を真っ赤にして、トゥコは床に膝をついた。
げぇっ、と再びえずいて、再びトゥコは塊を吐き出した。それはもう赤くなく、ほとんど黒い色をしていた。
「み……ず…………水を…………水を……くれ…………」
それは、毎日毎晩酒ばかり飲んでいたトゥコの口からはついぞ出たことのない言葉だった。
「水を…………」
それを最期に、奴の目から生気が抜けた。
ただの肉の塊になって、生きていた時よりさらに小さくなって見える身体は、床に音を立ててうつ伏せに倒れて、そのまま、もう動かなかった。
●97
ランプがちりちり言うのの他には、何の音もしなかった。
「そんな」
沈黙を破ったのはウエストだった。ランプの光の真下で、頬を震わせている。
「そんな」
ウエストはもう一度言った。
俺はその呟きに背中を押されたように動いた。
顔面が真っ青になっているトゥコの死体の脇を通り、カウンターを回って、トゥコががちゃつかせていた瓶の入った箱を覗いた。
空き瓶だらけだ。酒の匂いを発する邪魔臭いそれらを掻き分けてみると、その中に1本だけ、手のついていない酒があった。1本きりだった。
俺はそれを手にとってまじまじと見た。確かにそれは俺が買ってやった「リザード」だった。
瓶の形は確かに殺鼠剤とそっくりだ。真っ赤なトカゲがうねるマークと、ひっくり返ったネズミに赤いバツがついているラベル──似ていると言えば似ている。そして光と言えばランプしかないこの暗さだ。そして奴は疲れ、怯え、焦っていた。
だが、こんな、2本を取り違えるということがありうるだろうか?
ありえないことではないだろう。しかし…………。
俺はカウンターの向こうからジョーを見やった。奴はさっきの場所から微動だにせず、顔だけをこっちに向けていた。
「…………お前か?」
俺は腹の底にいやな重たさを覚えながらジョーに聞いた。
「…………どうやった? 呪いか? 魔法か? ここには封の開いてなかった瓶は──」
両手でそれぞれの瓶の首を握り、ジョーのいる方向にドン、と置き直した。
「酒と、殺鼠剤の、2本しか残ってない……この2本から──お前が殺鼠剤を選ばせたんだろ? どうにかしてトゥコに──」
「言ったはずだ」ジョーは俺の言葉をさえぎった。
「俺は何もしていないし、何もしない、と。起きるべきことが起きるだけだ、と──」
「世迷い言はたくさんだ!」
今度は俺がさえぎった。手で「リザード」と殺鼠剤をなぎ払った。瓶は2本とも壁に当たって砕けた。
「『起きるべきことが起きるだけ』だと? じゃあこれは偶然だって言うのか? そんなわけがない。ふざけるな! 酒と殺鼠剤が1本ずつ残り、お前が来たタイミングで、トゥコが酒を欲して殺鼠剤を飲んじまうなんて、そんなバカなことがあるわけがない!」
そう叫んだがジョーは答えなかった。図星だからではない。俺を見ながら首を小さく横に振った。「お前は何もわかっていない」と言いたげだった。
「クソッ……ふざけやがって……!」俺の脳天に血が昇り我を忘れそうになったその瞬間。
「あぁ……そうか…………」
いやに冷静な声が、バーの中に響いた。
「酒と毒が1本ずつ……なるほど、そういうことですか……」
頷きながらそう口から漏らしているのは、椅子に座ったままのダラスだった。
そういうこと? どういうことだ? 俺にはわけがわからなかった。
「どういうことだダラス? 何か……何がわかったんだ?」
「……いえ、わかったというか、『そう考えれば筋が通る』というか……」
ダラスは何故か腋の下から銃を取り出した。奥方を撃ち殺してからはついぞ抜いたことのない銃だ。
「突飛な思いつきだとは思うんですが……ふふ…………」
奴は何故か含み笑いを洩らした。
「いや……これをやったら、皆さん私がおかしくなったと……思うでしょうな…………ふふふ……」
6発が入るリボルバーの弾倉をひとつずつ回している。弾をひとつ取り出して、回す。次の弾倉は弾が入ったまま送る。それから次はまた弾をひとつ取り出し…………
それを繰り返して、カラと弾入りが交互になった弾倉を作り上げた。
「やってみましょう」
独り言みたいにそう言って、座ったままでその銃をジョーに向けた。
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