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まいとわたし

とにかく本を沢山読む子供だった。
小学生の大半の時間を図書館と音楽室で過ごし、多感な時期がとても長かったように思う。低学年のうちから図書館で蓄えた言葉や知識がいつもいつも頭に溢れて渦を巻いていたので、毎日考えることでいっぱいだったし、他人の気持ちを考える余裕なんかなかった。
給食は人一倍食べるのが遅く、気に入らないとすぐに泣いた。集中すると周りが見えなくなるのは日常茶飯事で団体行動やスポーツは苦手。同級生とうまく馴染めず、自分勝手で気分屋な児童がわたし。

勉強は嫌いじゃなかったので成績がよかったから、先生達はわたしが多少の「勝手」をしても放っておいてくれた。喧嘩したり物を壊したりする乱暴な子供を叱るので手一杯だっただけかも知れないけど。

声が大きくて男子を本気で怒鳴りつける男性教師が嫌いで、お天馬で少女っぽい喋り方をする音楽の女の先生が好きだった。4時間目、合奏の授業の間ずっと、音楽室の窓から中庭の花をぼーっと眺めていても先生はなにも言わなかったし、授業の後雑談に付き合ってくれたりした。そのせいで5時間目の道徳に20分も遅刻した時も一緒に謝ってくれた。初めて見たホンモノの楽器は、顔も名前も忘れたその人が授業で見せてくれたホルンだったし、数年後、伏線を回収するかのように吹奏楽部でホルンを演奏していた。

梨木香歩の『西の魔女が死んだ』を初めて読んだのは小学生6年生の秋。晴れて図書委員になったことで、図書室で最も権威のある受付で図書カードを管理し、学級文庫を自由に入れ替えることができる権利を得たことがきっかけだった。

主人公の「まい」とわたしの共通点は友達に馴染めなくて、扱いにくい子供。おばあちゃんのことが大好き。同級生や母親との関係に悩むまいの気持ちが痛いほどわかったし、おばあちゃんの家にお泊まりした時の幸せな記憶が、一文字読み進める度に胸に広がった。ラストシーンで授業中にもかかわらずぽろぽろ涙が出た。
授業中に関係ない本を読むわたしのような勝手な子供とは正反対の思慮深いまいが魔女修行を積んでいく様子が頭の中できらきら音付きで再生された。

長い間忘れていたけど、最近また読み返して、この作品は確かにわたしの一部になっていたのだと実感した。
初めて読んだその日から、その魔女たちに感化されて何でも自分で決めたし、何事もなるべく最後までやり通した。中学生になって、より性格が捻くれてしまったわたしと同級生との関係は悪化の一途を辿ったけれど、自分で入部を決めた吹奏楽部で可愛がってくれた先輩は生涯の友達になったし、好きな楽器や音楽にも巡り会えた。高校も大学も会社も自分で選んだ道の先にあって、尚も宝のような友人に出会い、糧を肥やし続けてこられた。

気づかなかっただけで、あの日からまいは今までずっとわたしを監視していて、分からなくなったときどうすればいいか叫び続けてくれていた気がする。
「西へ!」

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