セックス考─質問箱への回答

この文章は以下の質問に対する回答になります。文字数オーバーになってしまったのでこちらに書きました。
ルンむかは質問箱常に募集中です。ルンむかに対する個人攻撃から火種になりそうなネタまでなんでも送ってください。時に真摯に時に逆上しながら巨大な感情であなたの言葉に応答します。
https://peing.net/ja/donoma520_

ルンむかpeingより

ご相談ありがとうございます。大変お悩みのことと思います。現代においては様々な理由から、性愛や恋愛の問題が、アイデンティティや生きがいに直結しているため、そのカテゴリの悩みは深刻なものになりやすいですよね。

今回、お悩みの回答にあたって、まず具体的で割と普通なことを書きます。その後で、参考までに、私が思いつく限りの、悩むにあたって整理しておいた方が良さそうな事柄を並べておきますので、需要に応じて読んでください。

まず、めっちゃ普通ですけど、やっぱりすぐにどうこうということは一旦諦めて、時間をかけて親密になり、交際に発展した相手を、「この人になら裸をみせたり、身の安全を預けても良いかな」と思えるぐらい信頼できて、かつ怖い時には何回でも怖いと、気を遣わずに伝えられるくらい安心できるようになってから、少しずつハードルを超えて、何日か(場合によっては何か月か)かけて挿入まで至るのがいちばん良いと思います。

なので「セックスに興味があるが、恐怖感もある」ということを打ち明けてやってきた男性ととりあえずセックスしてみる、というパターンはもうやめておいた方が良いと思います。ご相談を読む限りでは、あなたは慎重な性格で、自分の恐怖感をとても大事にしている人だと思うので、それを押し切ってまで、もしあまり良くない結果になった時(もちろん、なぁんだ大したことないじゃん、となる場合もあるでしょう)、心に深い傷が残る可能性が高いです。

また、信頼関係がそこまで深くなくても、やっぱり中断!みたいなことが何回も通用するような、奥手で、お互い初めての相手とおっかなびっくりやっていくのも良いような気がしますが、高校生とかならまだしも、女性に対する基本的な気遣いやモラルを心得ているのに童貞の人はあんまりいませんよね。

よって、最初に述べたパターンがいちばん良いと思いますが、あなたの付き合いたい男性の好みによっては、ほとんど叶わない場合もあると思います。たとえばもっとガッツいてて、女の顔色をいちいち伺わないような男が好きな場合とか。そういう場合は、思い切って女性用風俗みたいなサービスを利用してみるのもアリかもしれません。セックスに興味はあるけど怖いという人は結構世の中に沢山居るみたいなので、そういうサービスの人はあなたのようなタイプのお客さんにも慣れてると思います。また、お話だけして解散、みたいなことを最初何回か繰り返したりするパターンもあるみたいです。私自身はあまり詳しくないので、悪い結果が起こらないことを保証するのは難しいですが、試すことを選択肢のひとつに加えてみてはどうでしょうか。

さて、最初にお伝えしたように、ここからは、一応、もっとうんうん悩むにあたって整理しておいた方が良さそうな事柄を並べておきます。前半でスッキリしたらもう読まなくても大丈夫だと思います。蛇足です。

あなたの悩みは、あなたの対立するふたつの望み​──セックスしてみたい、とセックスが怖い、というふたつの望み同士の矛盾から生まれてくるものでしょう。望みは2つあるのに、あなたの体や人生はひとつしかないので、悩みが生まれるわけですね。

そこで、前半では、そのふたつの望みを矛盾させずに、工夫によって上手く両方叶える為の方法を考えました。「信頼や安心によって時間をかけて恐怖心を和らげてから行為に臨むことで、恐怖と好奇心を同時に叶える」というものです。

後半では、それでも矛盾する二つの気持ちのどちらを基本的に重視していくのか、優先していくのか、ということを決めるためのヒントとして、セックスしてみたい、とセックスが怖い、という二つの気持ちがそれぞれどのように出来上がってきたのかを考えてみたいと思います。

まず、セックスしてみたい、という気持ちについて。ご相談を読む限りでは好奇心がやはり一番だとは思いますが、すこしちんちんやセックスを美化したイメージでとらえすぎているということはありませんか?だからこそいざ現実にペニスやセックスが迫ってきたときに、余計に嫌悪感を感じている可能性があります。このセックスや恋愛に関する美化は、この社会全体に流れる「恋愛資本主義的なイデオロギー」の影響かもしれません。これは、様々なメディアや広告でセックスや恋愛を称揚して、そのことによって物を売ろうという企業や資本の戦略です。物を売るうえで恋愛は非常に都合がよいです。金額の高い物品を送れば、それだけ自分がほかの恋愛候補者に比べて気持ちが大きいことを示すことが出来ます。贈り物そのものの実用的価値があまり伴っていなくても、金額の高さが物を言う場合があります。これは巨大な付加価値の源泉になるわけです。

世の男女がより恋愛に熱中し、愛情を表現するために様々な贈り物や、資本主義社会の中で商品化された自分自身(ステータスや容姿、身体等)を交換し合い、様々な値段の張る施設でサービスを消費しながら仲を深めていってくれれば、資本や企業にとってこんなに都合の良いことは無いわけです。

恋愛の称揚のために、様々なメディアの持つ力が利用されます。例えばデジタルな画像や映像の力です。例えば、「美しい自然の写真をネットで見つけて、実際に行ってみたら、晴れているのに、曇っているように感じた」、こんな経験はありませんか?デジタルに表現された画像や映像は実際の物に比べて遥かにビビットです。もちろん加工や編集も可能です。にもかかわらず、私たちは写真や映像をどうしても現実そのものの代替物として受け取ってしまいます。「恋愛資本主義的なイデオロギー」はこういう力を上手に利用して、恋愛や性愛をなによりも素晴らしいものだと繰り返し宣伝するわけですね。

もちろん、それだからあなたのセックスや恋愛に対するあこがれが偽物であるということを言いたいわけではありません。美化されている部分も含めてあなた自身の本物の気持ちだと思いますが、その仕組みにはこういったものも隠れているかもしれませんよ、という話です。

また、今回のご相談では触れられていませんでしたが、このままセックスを経験できずに、結婚なども遅れてしまったらどうしよう、という焦りなどもセックスしたい理由の中には含まれていないでしょうか?一応思い当たる節があった場合のために、指摘しておきますが、そのような考え方は、「再生産のイデオロギー」の影響が強いかもしれません。ざっくりいうと、「子供を産み育てる」=「国家が強力になる」=「ご近所さんから怪訝に思われない」=「親が安心する」という一連の流れを強く結びつける、戦前から続くニッポン村の悪しき慣習です。

繰り返しになりますが、これに関しても、悪い考えだから全く無視せよという意味でこういうことを言っているわけではありません。現にこういうイデオロギーに影響を受けている人はたくさんいるので、社会生活を送るうえでは無視できないし、円滑に物事を進めるためにはこういう風潮に屈するほうが都合がよい場合が多いからです。

他には、インターネットや身の回りなどで、セックスが大好きで、これなしでは考えられないとか、何人もの人と関係をもって、そのことが何よりの喜びであるとかいう風に表現する女性を目にして、そんなにいいものなら、と、セックスに対して強い関心を抱いている、ということはありませんか?これに関しても、一応、考えておいたほうが良いことがあります。特に女性で、セックスを強く好む傾向を示す方の中には、「トラウマの再演」という心理的な条件の下で、そういう風になっている人が少なくありません(全員がそうだという話では全然ないです)。「トラウマの再演」というのは、幼少期や今までの人生の中で、性的な加害や虐待を受けて、心に傷を負った人(しばしば、実際の被害よりも後になって、当時はわからなかったその行為や被害の意味を知って、その時に初めて深い傷になる、ということが起こります)が、何故か、自分から似たような状況に向かってしまう、という現象です(もちろん性的なことに限った話ではありません)。なぜそんなことが起こるのかについては様々なことが言われていますが、とにかく、性的なトラウマを負った人が、かえってたくさんの人と性的な関係を結んだり、そういう行為の中に大きな享楽を見出す、というようなことがあります。

しつこいようですが、これについても、そのような行動は不健全だからよしたほうが良いとか、トラウマを追っても傷つくだけだからやめたほうが良いということでは無いと思っています。人生において、痒いところは、掻くと悪化したり、広がったりするからと言って、掻く快感を捨てて治癒を促したほうが絶対に良い結果になるとは限らないからです。ですが、あなたがそういうトラウマを多かれ少なかれ負っているとしても、現に激しい性生活を送っているわけではない以上、そういう人と事情が違う場合があるということも考える必要があります。かえって無理をして危険な目にあって、それ自体があらたな傷になる、ということは無いほうが絶対に良いからです。

今示した以外にも、単に「セックスしてみたい」とは言っても、様々な気持ちや望みの要素に細分化できると思います。これを一度整理して、どのくらい自分は「セックスしてみたい」という気持ちに向き合ったらよいのか、考えてみてはいかがでしょうか。

次に、セックスが怖い、ということに関して。これも、単なる恐怖心からだけではなく、罪悪感があるということでしたよね。女性のセックスと罪悪を結び付ける考えかたも、女性の性を男性権力の中で徹底的に管理して、男同士の交流や力関係の道具にしたいというイデオロギーと深い関係があります。権力や体制の中で「この人」と承認された人だけどセックスしてもらったほうが、はるかに都合がよいので、婚前交渉はダメとか、乱れたセックス習慣は廃すべきとかいう道徳が流布されているのです。これはかなり死にかけのイデオロギーというか、現代社会においてはほとんど強制力を持ちませんが、人々にほんのり罪悪感を抱かせるくらいの効力が残っています。これについてももちろん、だから罪悪感は無視せよという意味ではないですが、ルーツにはこういうこともあるということを考える上でヒントにしてほしいです。

それからやっぱり、自分の好奇心のために、自分の体を危険にさらすことに対する罪悪感は、心の安全にもかかわるので、ぜひ尊重してもらって、最初の話に戻りますが、「これなら百パーセント安全で、危険なことでは無い」と確信できるような状況でセックスすることをお勧めします。大体思いつくこととしては以上になります。不明な点があったらまた質問箱等にお願いします。

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