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重量級末娘の爆誕

1983年の5月…私の母はこれまでに無い重さの腹を抱え、坂と階段のそのまた先にある実家と、街の方にある店を毎日毎日行き来してくれていた。

腹の中の第三子は、のちの私であるけれども、それはもう大変な大きさであると予想できたらしい。

産気づいた母は確か動けなかったらしく、父は、その腹に巨大児の入った母をおんぶして産院まで連れて行ったと聞いた。
母、痛みとの激闘の末、

こんにちは、赤ちゃん。
こんにちは、4020g。

南海キャンディーズのしずちゃんには惜しくも届かないが、今よりも平均出生体重が重かった当時にしても正真正銘のビッグベビーであった。

よく飲み、よく寝て、よく泣く。
横顔の写真なのに、反対側のほっぺたも写るほどにすくすくと成長した。
(幼馴染が「向こう側のほっぺ」というタイトルをつけるほど気に入っている写真が残っている)


健康優良児と言いたいところだが、生後10ヶ月で川崎病になり、その後中学を卒業するまでの間は定期的に通院した記憶がある。
ジッとできない年齢の時は、受付でガラスのスポイドに入った薄茶色の激マズ液体を飲まされていたのだが、アレが睡眠薬だということは大人になって知った。
ガラスのスポイドが口に入る感覚は今でも蘇る。

それはそうとして、4020gで爆誕した私は小学校までにハイスピードで身長が伸びた。
保育園の集合写真など、美容師の叔父に刈り込まれたジャンボ尾崎ヘアの頭が、皆よりもひとつ抜きん出ているものばかり。。。。

大きくなって、何この髪型。と母に尋ねると

「当時流行ったとさ。」

と言っていたのだが、当時の友達を見れば一目瞭然、そんな髪型流行ってないに決まっていた。

運動が大好きで、尾崎カットのデカめの女児が勇ましくかけっこしている写真も残っていたな。


さぁ、この辺りから何ともお転婆な幼少期がはじまる。


-つづく-

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