見出し画像

今日の日はさようなら。

名古屋の大曽根という小さな町に。
祖父母の家はありました。

一軒家とはいえ小さくて、半分はトタン屋根。
そばには小さな畑を持っていて。
自分たちが食べる野菜をいくつか育てていました。
そして、縁側には放し飼いで3羽のニワトリ。

まだお嫁に行く前の叔母も住んで居ました。
幼い私をそこに預けたままの母は、たまにひょっこりと現れてはすぐに居なくなる。
叔母から、「もう、お姉ちゃんたら。真面目になりなさいよ。」
なんて諭されながらも飄々として。
遠慮なく冷蔵庫から冷えたビールを出してきて。
私の体の弱さだとか可愛く無さに軽く嘆きながら、ビールはやっぱりスーパードライ、と美味しそうに飲む。
そして気が付くと、もう母は居なくなっているのでした。
幼い私はそれを寂しいことだとも思わずに。
またいつか来るのだろう、くらいに思っていた。

厳しく躾けられることもなく、でも甘やかされるわけでもない。
私の立場にも同情したりしない。
そんな祖父母と叔母との暮らしに、私は素直に馴染んでいった。



爪切りが日課のおじいちゃんは、夕方になるとタバコを吸いながら縁側で足の爪を切り始める。
パチン、パチンと勢いよく地面に飛んでいくおじいちゃんの固い爪を、ニワトリたちがくちばしでつつく。
「カルシウムだ、食え、食え。わしの爪食ったら、明日の卵の殻はいつもより頑丈になるぞー。」
とおじいちゃんが言うから、明日は早起きして生みたての卵を割って、本当かどうか確かめてみよう、と私は思う。


仕事から帰ってくる叔母を、私はいつも家の前で待っていた。
おかえりなさい、と言いたくて。
ただいま、と聞くだけで嬉しかった。

叔母は小さなお財布だけ持って。
私を連れて近くのユニーに行く。
ユニーの中のお肉やさんであつあつのコロッケを買ってくれる。

「今、食べちゃおうね。あつあつだもんね。」

買い物途中で何かを買って。
そしてそれをその場で食べるって。
なんであんなに嬉しいんだろう。なんであんなに美味しいんだろう。

食料品売り場で野菜や魚を選んでいく。
叔母もおばあちゃんも、水菜とか白菜とかホウレン草とか、
そういうもの全てを『菜っ葉』とまとめて言う。
今日、叔母はどの菜っ葉を買うのかなぁ。
私は野菜売り場をきょろきょろする。

そして叔母の機嫌が良いときには。
ちょっと甘えてみるのだ。

「ねぇねぇ、これも買い物カゴに入れてもいい?」

叔母がよしよしと私の頭を撫でる。そして少しかがんで買い物カゴを
私の背の高さに合わせてくれる。
「入れていいよ。」と笑ってくれる。

『イシイのおべんとくんミートボール』とか。
レトルトのハンバーグなんかを買い物かごに入れる。

叔母はいつも笑う。
「普通、ちっちゃい子ってね。お菓子とかねだるのよ。でもあんたはいっつもハンバーグとかご飯のおかずをねだるのねぇ。」

「うん。お菓子はね、おじいちゃんがパチンコの景品でいっぱい持って帰ってくるから。
だから私の好きなお肉買ってよ。私、お肉がないとご飯、食べられないから。」

偏食気味の私はお肉がないとご飯が食べられなかった。
野菜だけの野菜炒めは食べられないのに。
お肉が入った野菜炒めなら食べられる。
野菜サラダは嫌いなのに。
ハム入り野菜サラダなら食べられる。


「ねぇ、この前作ってくれたとり肉の骨のついたやつ、
 おいしかったからまた作ってくれる?
 あれ、今までで一番おいしかった。
 すごくおいしくってびっくりした。」

「あぁ、からあげね。いいよ、もも肉のからあげね。
 でもあんた、この前みたいに食べ過ぎちゃだめよ。」


うん。このまえみたいに欲張って食べてお腹いたくなって
泣いたりしないから。
お腹いたくなると急に寂しくなっちゃうんだ。
小さい声で「ママ」って言いながら泣いちゃうんだ。
からあげ、すごくおいしいよ。
ママはからあげ、食べたことあるのかな。


たしかあれは夏だった。
叔母は男の人に夢中になって。
しばらく家を留守にした。
おばあちゃんが叔母とその相手との交際を認めなかったから。
叔母は出ていってしまった。

でもおばあちゃんは言うのだ。
「夢で見たから知ってるんじゃ。あの男とはだめだ。
 夢の中で大きな雷が木に落ちて。
 まっぷたつに割れた。うまくいかん。
 あいつもそのうち気付いて帰ってくる。」

叔母がいない家はいつもよりも早寝早起きになった。
おじいちゃんは夕方過ぎにはうとうとし始めるし。
おばあちゃんはニワトリの朝一番の鳴き声で起床する。

そして日々は過ぎていく。
今日の日はさようなら。
毎日にさよならを言って。
子供だった私は、夏の日々を重ねていく。

縁側でニワトリに追いかけられて泣いたり。
ザリガニの爪に自分の指を挟まれて泣いたり。
おばあちゃんと一緒に畑に水を撒いたり、小さな野菜を収穫したり。
たらいに水を張って洗濯板で洗濯をするおばあちゃんの背中を見ながら、
「洗濯機あるのになぁ。」と首をかしげてみたり。

一通りの家事や畑仕事を終えたおばあちゃんは。
今度は台所に入って夕食の準備をする。
休憩は、家事の合間に冷えた麦茶を飲むくらい。

私はおじいちゃんの膝の上でごろごろする。
おじいちゃんはいつだってお酒くさい。
髪の毛もひげも全部白い。
私には白い色の理由が分からない。

台所からは。
醤油の匂い。
にんにくの匂い。
魚の匂い。
ごま油の匂い。

ふきの炒めもの。
ぬか漬け。
大根と大根の葉の煮物。
ほっけの開き。
なすのお味噌汁。


小さな私はおばあちゃんの作るおかずでご飯が食べられない。

お肉が食べたいよぉ。
ふきもなすもきらい。
ハムエッグが好き。
ハンバーグが好き。
イシイのミートボールが好き。

私は恨むような目をしておばあちゃんに小さく怒鳴った。
「もうやだ。なんで私の嫌いなのばっかなの。
 お肉がいい。とり肉、食べたい。からあげ食べたいの!」


「野菜食わんとだめだぞー。」
おじいちゃんがそう言い終わらないうちに。

おばあちゃんが立ち上がって。
すごく怖い顔で。
「贅沢言うな!」

そして台所から一番大きい包丁を持ちだして。
おばあちゃんは。
縁側のニワトリをぱっと捕まえて。
首ねっこをがしっと握って。
あっというまに。
「ゴキッ!!!」

頭を切り取られたニワトリは。
それでも羽をばたつかせている。


おじいちゃんは私を見て
「あ~、おまえがとり肉食べたいって言うから。
 ニワトリ、潰されちまったぞ。」とのんきに言う。


私はびっくりしておしっこを漏らした。

おじいちゃんは
「ばぁさん、孫がちびったぞぉ。」
と縁側に向かってまたものんきに言う。


おばあちゃんは庭の水道で手を洗いながら。
「ちびったかぁ。自分でパンツ洗えよぉ。」
と大笑いして言った。

私はご飯にお味噌汁をかけて慌てて食べた。

そしてひとりで洗濯場に行って。
たらいに水を張って。
洗濯粉を入れて。
泡をぶくぶくにして。
パンツを洗った。


その夜は怖くてひとりで眠れなかった。
ニワトリが夢に出てきたらどうしよう。
おじいちゃんのお布団とおばあちゃんのお布団の真ん中に
小さい布団を敷いてもらって川の字になって寝た。
夏布団は柔らかくて気持ちがいい。


しばらくして叔母は家に戻ってきた。
仕事から帰ると、私を連れていつものようにユニーへ行く。
小さなお財布だけ持って。
「今日はコロッケ、あつあつかな。」なんて言いながら。

叔母はどこか寂しそうで。
でも少し安堵しているようでもあって。
そしてやっぱり横顔はママに似ているな、と思う。
私はその横顔を、気付かれないようにちらちらと見上げる。


叔母がまたからあげを作ってくれた。
おじいちゃんとおばあちゃんから、飼っていたニワトリが
一羽減った理由を聞いて大笑いしながら。

「ばあさん、潰したニワトリでなぁ。からあげ作らずに煮物作ったわ。」

「わし、ばあさんだでね。洒落た揚げ物なんて、よう作らんのよ。」

みんな笑ってる。
私は嬉しくて、うんとはしゃぐ。
うんと食べる。
とりのからあげは王様だ。
ご機嫌で晩酌をするおじいちゃんと、明日のパチンコで勝ったら景品はチョコレートにしてね、とゆびきりげんまんをした。

みんなで食べると楽しいね。
今度はママも一緒だと嬉しいな。

おやすみなさい。
今日は楽しかったね。
みんなも楽しかったよね。
ねぇ、ママ。
おじいちゃんのおうちにおいでよ。
からあげ、美味しいから食べにおいでよ。
おじいちゃんがね、また用水路でバケツいっぱいにザリガニを取ってきたよ。
畑でね、菜っ葉が採れたよ。
おばあちゃんは、洗濯機あるのに今日もたらいと洗濯板でお洗濯してたよ。
私はね、ちゃんといい子にしてるよ。
ご飯もいっぱい食べてるよ。
だからママも早くおいでよ。
ね。


今日の日はさようなら。
おやすみなさい。
ママ、また逢う日までね。


画像1

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?