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1.6 マインド・コントロールとはなにか

前項目で「カルトとは、マインド・コントロールを行う団体である」ということを定義、または大きな特徴のひとつとして挙げると話が早い、ということを述べました。
「マインド・コントロール」という単語は、市民権を得て一般社会にも浸透しているようで、字面の通り「他人の心理を操作すること」という意味で日常生活でもしばしば使われています。

一方で、「学術的に認められた概念ではない」ともっともらしく言う者もおり、その単語が指し示す意味の範囲には揺らぎがあるように見えます。

”カルトが用いる”「マインド・コントロール」とはなにか、をハッキリさせることは、以後の話を積み上げる上で土台になることです。

本項目では、「マインド・コントロール」という単語を取り巻く状況や由来、批判する考え方について論じるなかで、その意味の範囲を明確にします。

「洗脳とマインド・コントロールの違い」

「マインド・コントロール」と類似の単語として、「洗脳」という言葉があります。
まず、両者の違いについて述べます。

「洗脳」とは、肉体に直接暴行や虐待などを加える方法を取り入れる形である人物の思想改造すること、とされます。

洗脳という語は、中国共産党の行う”思想改造”のプロセスを解析したロバート・J.リフトン『思想改造の心理―中国における洗脳の研究』 という本が初出の概念になります。
この本は現代における心理操作、思考操作を扱った、歴史上最初の本になります。訳書はすでに絶版になっており、中古市場で高額で取引されていて、なかなか手に入りません。

一方、「マインド・コントロール」は、本書でも再三紹介しているスティーヴン・ハッサン『マインド・コントロールの恐怖』で初めて提唱された用語です。
一般には一部で使われていたかもしれませんが、少なくともカルト教団が使う心理操作・支配の意味で使われたのは、この書籍が初出です。

「マインド・コントロール」は「洗脳」と違って、物理的な加虐行為を含まない、とされます。

実際にはマインド・コントロールの中にも、断食や不眠を強いたりする形のソフトな肉体への干渉はあるし、中国共産党の洗脳にしても、暴力的手段がプロトコルの中で特別な位置付けにあるわけでもないのです。
二つの言葉に大きな違いがあるとは思えません。

私個人の語感としては、洗脳とは文字通り他者の脳内に別の思考体系や行動原理を仕込む「教化行為そのもの」であり、マインド・コントロールは、教化のみならず、”仕込み”が終わった後、操作可能な状態に置いている状況そのものを指すかな、という感じです。

例えば「被洗脳下にある」という言い方であれば「マインド・コントロールを受けている」という言い方とほぼ同義として扱って良いのではないかという印象です。

いずれも大まかには「他人の心を思い通りに操作する」といった意味を持つ言葉です。

本書では、統一教会の手法の根幹を指す言葉として、「マインド・コントロール」という語を主に用います。

「マインド・コントロールは”学術的に”どの分野の言葉なのか」

さて、マインド・コントロールを扱った書物は、
カウンセリング心理学の修士号を持ち、強制を伴わない脱会カウンセリングの手法を確立したスティーヴン・ハッサンによる『マインド・コントロールの恐怖』
に始まり、
脳機能学者の苫米地英人氏『洗脳原論』
社会心理学者の西田公昭氏『なぜ、人は操られ支配されるのか』
さらに、精神医学者である岡田尊司『マインド・コントロール』
などがあります。

元々は心理学を専攻するスティーヴン・ハッサンが提唱した概念であり、心理学、精神医学、脳科学の方面で論じられている概念ということになります。
学術用語として定着しているか、は解釈が分かれるところですが、少なくとも「社会心理学」では、それはあるものとして分析の対象にはなっています。

「マインド・コントロールは学術的に否定されている」としたり顔で言う者がおり、Wikiでもそのように記載されていますが、
否定したのは櫻井義秀という宗教社会学者です。

この方が1996年に出した
『オウム真理教現象の記述をめぐる一考察−マインド・コントロール言説の批判的検討』という論考がその根拠です。

その後、大田俊寛氏などの宗教学者が、社会心理学の手法や学問体系そのものを否定する形で「マインド・コントロール理論」についての疑義を述べています。

おおまかな構図としては、マインド・コントロール理論に対して

提唱する社会心理学者 VS 否定する宗教学者・宗教社会学者 という構図が見て取れます。

宗教学者・宗教社会学者の論点については、後述しますが、
まずは、「マインド・コントロール」とは、そもそも、なぜ常軌を逸した思考や行動をするようになるのか、という個人の内面に対して適用する概念なので、本項目では宗教学・宗教社会学より、主に心理学の観点を採用して説明します。

否定派の宗教学者・宗教社会学者に関しては、重鎮である櫻井義秀氏の影響が強いと思われますので、特にWeb上で手に入る1996年の氏の論考である『オウム真理教現象の記述をめぐる一考察−マインド・コントロール言説の批判的検討』に対して、指摘・批判を行いますが、長くなりすぎるので、本項目の最後に”参考”として添付します。

マインド・コントロールの本質とは

マインド・コントロールに関して、きちんと説明されている本は少ないです。

スティーヴン・ハッサン『マインド・コントロールの恐怖』
岡田尊司『マインド・コントロール』
紀藤正樹「決定版マインド・コントロール」
苫米地英人『洗脳原論』
・西田公昭氏『なぜ、人は操られ支配されるのか』

これら5冊が特に「マインド・コントロール」を詳細に説明していますが、その定義はサラリとしか触れず、その作動原理の説明が本の大部分を占めています。

例えば、「バイク」について、作動原理について説明するならば、エンジンの仕組みやギアとチェーンを含む動力を生み出す構造について解説することになるのですが、
そういった機構の説明が「バイクとはなにか」という問いに答えているかというと、厳密には違うでしょう。

「バイクとはなにか」に答えるならば、二輪という形態であるとか、舗装された道路を走る1人ないし2人乗りであるとか、どういう場面で乗るのか、その歴史などの説明が先になるはずです。

本項目では「マインド・コントロールとはなにか」がテーマですから、作動原理についての詳細な説明は、

特に統一教会に限定して
第4章 統一教会のマインド・コントロール法の理論的解釈 で行います。

まずは、「マインド・コントロール」という言葉の定義をしっかり行います。

紀藤正樹弁護士『決定版マインド・コントロール』では、最初の方で、以下のように述べられています。

「マインド・コントロール」とは、あとで詳しくお話しますが、 ここでは「自分以外の人や組織が常識から逸脱した影響力を行使することで、 意識しないままに自分の態度や思想や信念などが強く形成・支配され、 結果として物理的・精神的・金銭的などの深刻な被害を受ける状態」と思ってください。

紀藤正樹『マインド・コントロール』p.14

「あとで詳しく」という部分では、こうも述べられています。

目的、方法、程度、結果などを見て、それらが「法規範」や「社会規範」から大きく逸脱している場合は、これを「マインド・コントロール」と判断して問題視すべきである。

紀藤正樹『マインド・コントロール』p.47

弁護士らしく”実害”に着目して、「マインド・コントロール」は社会的用語として一般化されており、社会問題性を問う重要性を説いておられます。

1.4カルトとはなにか でも触れましたが、紀藤弁護士は、カルト団体の社会的加害性という外形的被害に着目して、その内面的性格に拘泥はしない、という立場を取っています。
一般的な理解としてはそれで十分かもしれませんし、諸問題を実際的に解決するための方針としては適切と思います。

ただ、繰り返しになりますが、本書では、カルト・統一教会問題に関して、深く考えることを目的にしていますから、「マインド・コントロール」についてももう少ししつこく述べます。

マインド・コントロールを心理学の知見から明確に定義しているのは、やはり提唱者のスティーヴン・ハッサン『マインド・コントロールの恐怖』です。

引用しましょう。

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