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1.4 カルトとはなにか

本章は『統一教会の社会的位置づけ』を明確にするものですが、先の項目で統一教会の加害性についてはひと通り説明したので、本来、「統一教会はカルト教団」であるという一般的な社会的位置付けについては、今さら述べるまでもないことです。

が、信者やシンパ、あるいは統一教会と関係していた議員、自民党を支持・擁護する保守論客たちから、
「統一教会がカルトかどうか確定したわけではない」
「カルトの定義を言ってみよ」

などという発言が頻繁にあり、議論が撹乱され、空転させられることがよくあります。

面倒ではありますが、反・反統一教会の人たちの妄言を封じるためにも、この項目では、「カルトとはなにか」についての議論をはっきりさせます。

※なお、カルトには宗教カルト・政治カルト・教育カルト・心理療法カルト・商業カルトなどの分類がありますが、本項目では特に宗教カルトについて述べます。

「カルト」と「マインドコントロール」の関係

カルトといえば、「洗脳」「マインドコントロール」とセットの扱いを受けるのが普通ですから、「カルトとは、マインド・コントロールを行う団体である」と定義しても良さそうです。

一般市民の理解としては、「マインド・コントロールとは、カルト団体が信者(構成員)に対して行うもの」というところで殆ど留まっているでしょう。

「カルトとは、マインドコントロールを行う団体である」
↓↑
「マインドコントロールとは、カルトが行う(支配の)手法である」

一般的理解では、「カルト」と「マインドコントロール」の説明はこのように循環してしまいます。

このように循環しがちなものごとについての本を読むときは、入口部分で立ち止まらず、読み進めるうちにわかってくるものなので、「とにかくカルトかマインドコントロールに関する本を的確にチョイスして読めばわかってくる」ものではあります。

実際には、マインドコントロールとはかくかくしかじかである、という定義が、関連の本の中でそれぞれの著者によってなされているものですから、前述のように説明が循環することはありません。

本書でも「マインドコントロールとは、これである」、という明確な説明を行います(1.6)。

そうすると、「カルトとは、マインドコントロールを行う団体である」といって良さそうですが、それは飽くまでカルトの定義というよりは、カルトの特徴のひとつ、という方がより的確です。

紀藤正樹弁護士は「カルトの行動」を問う

私が知る限り、「カルトとは?」という命題について、明確に扱っている本は、以下の2冊のみです。

・スティーヴン・ハッサン『マインド・コントロールの恐怖』
・紀藤正樹弁護士『マインド・コントロール』

スティーヴン・ハッサン『マインド・コントロールの恐怖』の方では、あらゆるカルトの脱会カウンセラーであるスティーヴンが、相談を持ちかけられたときの対象の団体について、「カルトである」と判断するためのおおまかな基準が書かれています。

「カルトの定義」を参照する、というよりは、スティーヴンの中の「カルトの特徴」の数々を述べ、それに合致するかを判断する、という内容です。

紀藤正樹弁護士『マインド・コントロール』では、「カルトとはなにか」という点について、「カルト」という単語の原義から説明し始める章が1章分特別に設けられています。

端的に言うと、「カルトとは熱狂的な狂信的集団」のことである、ということです。

そして、「『カルトの定義は曖昧だ』と批判する人はなにがわかっていないのか?」という題の項目を特別に用意して説明しています。少々長いのですが、引用します。

ここで注意したいのは、「カルト」は実態をともなう帰納的な言葉であって、演繹的な言葉として使うのは間違っているということです。
(中略)
「演繹」とはすでにわかっている一般的な前提や原理から出発して、個別的で特殊な結論を得る推論や考え方のことです。「カルトの定義は、かくかくしかじかである。したがってXX教団はカルトだ」(A)という言い方が演繹です。
(中略)
「帰納」とは、個別的で特殊な事例から出発して、一般的で普遍的な結論を得る推論や考え方のことです。つまり「XX教団、△△教団、□□教団は、社会的に問題を起こした。彼らの共通するのは、かくかくしかじかの問題だ。そのような問題を起こす教団はカルトだろう」(B)という言い方です。
ところで、 カルトは「熱狂的な宗教集団」という意味には違いありませんが、考えてみれば熱狂的といっても程度がさまざまですし、何をもって宗教と見なすかも、簡単には決められません。だから、万人が認めるカルトの”厳密な”定義など存在しません。
定義があいまいでは、(A)のような演繹的な言い方はできませんね。だから、カルトという言葉を使うときは、その実態にこそ着目して(B)のような帰納的な言い方をすべきでしょう。これが「カルト」は帰納的な言葉だ、と私がいう意味です。

紀藤正樹『決定版 マインド・コントロール』p.139

私としてもこの説明はある程度正しいと思いますが、一つ付け加えるならば、帰納と演繹はどちらか片方だけをずっと使い続けるものではない、ということでしょうか。

つまり、帰納法によって、原理・原則を抽出した後、それを演繹的に使って現実の事象に適用してみて、そして“法則”に合わない部分があれば、それを包括する形を再び帰納的に考え、原理・原則をブラッシュアップし、アップデートする。
またそうして立ち上がった原理原則2.0を現実に適用してみて…というプロセスを介しながら、徐々に原理・原則の普遍性を高めていくものだということです。

不完全とはいえ、「カルトとはこれこれである」と“暫定的に”定義をすることは不可能ではありません。そして一発で完全なものができないからといって「定義はできない」と言い切ってしまうのは、ちょっと気が早いんではないですか、ということです。(少なくとも、特徴を列記するなどして、全体像を提示することはできます。)

第一、「統一教会はカルトなのだろうか。カルトの定義ってなに?」という疑問を呈する人に対して、
「”厳密”な定義など存在しない。定義はあいまいである」と言い切ってしまうと、それ見たことか、という顔をされかねない。

また、演繹、帰納、という言葉を使って説明したとしても、イマイチ理解させるのは難しいのではないでしょうか。

紀藤弁護士は、そのようなややこしさや、時間のかかりすぎることを理解していて、著作の中では、弁護士らしく、「定義云々などに拘泥せず、教団が社会に対してどのような加害をなしてきたのか」ということにフォーカスするべきとして、私が1.3 統一教会の加害性 で説明したようなカルトの加害の類型を説明していくのですが…

TV番組に出演する際には、フランス政府が2001年に制定した反セクト法の10個の基準を示しておられます。

その基準は、そのある団体が(宗教に限らず)カルトかどうかを、教えなどの内容で判断するのではなく、その団体がいかなる反社会的な活動をしているか、という観点から決められています。

フランス 反セクト法 10の基準
①精神的不安定化
②法外な金銭要求(献金など)
③元の生活からの意図的な引き離し
④身体に対する危害
⑤子供の強制的な入信
⑥反社会的な説教
⑦公共の秩序を乱す行い
⑧重大な訴訟違反
⑨通常の経済流通経路からの逸脱(高額な物品販売など)
⑩公権力への浸透の企て

フランス 反セクト法 10の基準

フランスでは、この10個の基準の一つでも該当すれば、”セクト”に該当する、としてリストに載り、取締の対象になるということです。

紀藤弁護士は、このことを引用して、統一教会をカルトとしてなんらかの法的規制を加えることを提唱しています。

これはこれで、反・反統一教会の人達に対する“効率的な”戦い方、といえるでしょう。

「カルトの特徴」を提示する準備

さて、本書では統一教会・カルト問題に対して本質的に考えるということを目指していますので、「カルトとは」についてももう少ししつこく考えます。

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