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ルッキズムはバカ?

誹謗中傷の多さとそれがイヤでも目に入ってくるので、なんとなく頭で考えていたことを話させてください。
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世の中の至るところから、こんな言葉が聞こえてきます。

「○○ちゃん、可愛い」
「△△くん、イケメンすぎる」
「◇◇はブスだから嫌」
「▽▽の新しい彼女って可愛い?」

いわゆるルッキズムとかいうやつでしょうか、見た目至上主義な人たち。
見てる方の中にも自分のことだと思う方はたくさんいらっしゃると思います。


僕はね、見た目至上主義はバカだと思っています。
もちろんある程度の清潔感や多少なりとも見た目に気を使うことは必要だと思いますし、より高みを目指すことをモチベーションに生きるのもいいと思います。
もっと言えば好きな要素の一つに見た目があるのも構わないと思います。
ただ、「見た目がいいから好き」という他人に対して見た目のみを重視した評価をつけることは、あまりにも安易すぎるというか、バカだと思うのです。一要素のひとつというだけならまだしも、それがメインであったりそれのみで好意を持続させようとしているところが。

ここでいうバカとは「考える力に欠ける人」という意味です。


見た目というのは視覚のみで判断できる価値基準です。視力があれば誰にでもできる、非常に短絡的で単純なものです。
そして他人とのコミュニケーションにおいて、1番初めに得られる情報でもあります。
ここのみに重点を置くということはつまり
「物事について1つの視点からしか考えることができない」ということになります。

僕がよく使う例えは、ティッシュ箱の見え方です。ティッシュは上から見た形、前から見た形、横から見た形、下から見た形、全てが違います。中身の有無やその量、開封しているか否かなど状況によってもその見え方は変わってきます。
見た目至上主義の人は、1番最初に見えたティッシュの見え方だけでその形を判断してしまうということになります。
他の面から見たら違う見え方をするかもしれない…という発想がない、つまりそういう人の考え方はティッシュ箱の例に置き換えると

「横から見たらティッシュが飛び出てなくても、上から見たらまだ何枚か残ってた」
みたいなことにも気づけないわけです。

(さすがに気づくわ!と思ったあなた、落ち着いてください。これ、例えです。本当にティッシュの有無に気づけないだろと思って書いてるわけじゃないです。そういうとこです、よく考えてください。)


人間はとても複雑な構造を持つ生物だと僕は思っています。見た目ひとつとっても表情が違えば全然違う印象を持ちます。その奥にある内面の部分はもっともっと複雑で、そういう部分に本当の魅力が隠れていると思うのです。
はじめに見た目から興味を持つことは大いに結構だと思いますが、それだけで終わるのは本当に相手に対して好意を持っているわけではないでしょう、と言いたいのであります。


また見た目至上主義の方々は、その思考力・発想の無さが故に
「この世のすべての人々が、自分と同じように他人の見た目を気にしているに違いない」と思い込んでいます。
本当に皮肉なもんです。
「みんな結局見た目しかみてないよね」
というその人こそが見た目ばかりを気にしているのです。



こういう人たちは、自分の好きな容姿の人間を恋人と称したアクセサリーにしようとします。
「いい女と歩く男は価値がある」
「いい男と共にいる女は凄い」
聞いたことありますよね。バカにも程があります。
容姿がいい人と一緒にいる自分が好きなのです。他人を飾りとして使い、自分の価値を上げようとしています。そしてそれをさも世界の常識かのように鼻高々に語り、同じように思考力の乏しい人たちから注目を浴びるわけです。


同じ考えを持つ同士で傷を舐め合ってずっと井の中に居てくれるなら全然いいのですが、たまにそうじゃない人を巻き込むこともあります。

自分の好きな容姿ではない人に「ブス」「醜い」だと心ない言葉を投げかけ、相手がその言葉を受けてどう思うのかまで考えることはできないので、言われて当然ぐらいに思って今ものうのうと生きている人。

ただ容姿が好きなだけで内面や本質的な部分を理解しているわけではないのに、さもそこまで考えた上で相手を好きになっているかのように言葉巧みに相手を拐かし、恋人になった途端に本性を現す人。

挙げればキリがありません。
頼むからそういう人はそうじゃない人に関わらないでほしいです、純粋な人ならバカでも良いところを見つけて尊重してしまうんだから。
(見た目への誹謗中傷なんかはまさにこれ)


結局、物事についてちゃんと考えることができず単純な「見た目」という基準だけに頼っている人は、自分自身なりの判断がわからない、
だから他人を利用して自分の見え方をよくしようとするのです。
その根底にあるのは自分への自信のなさなのか、本当の本当にバカすぎるだけなのかはわかりませんが。どのみち人間を1つの面でしか見れていないのは同じです。


自分の価値判断で好意を持つ、これが大切なのかなと僕は思います。
仮に自分に自信がないのならば、見た目のいい人を利用して自分の価値を上げようとするのではなく
「こんな自分でも愛情が芽生えた」と
「こんな自分でも心から尊敬できる人がいた」と
相手への想いにだけ自信を持てばいいのではないでしょうか。

自分の価値はわからなくても、自分が持っている自分なりの価値判断で魅力を見出したというそれ自体は紛れもない事実ですから、
そこに自信を持って相手を思いやればいいと思います。


まとめ
・ルッキズムは、1つの面だけが全てと思い込んでいる人・それ以上のことを考えることができない人によって構築されてしまったもの。
・見た目至上主義同士で傷を舐め合うのは結構だが、そうじゃない人に関わって気づかず傷つけるはやめてくれ。
・ぜひ他人を使って自分の価値を上げようとするのではなく、自分の価値判断に自信を持って他人を見てみてくれ。


こんなところでしょうか、上手くまとまってる気はしませんが。
皆様の考えはどんな感じですか?


追記
僕は小さい頃からあまり見た目に重点を置いておらず、過去の恋人たちもみんな全然違う見た目です。でも本当にいい人ばかりでした。
ただこれを周りに話すと驚かれることも多いし、その他諸々これが原因で思い悩むことやトラブルが起きたこともたくさんありました。
ただ「自分の思い通りになる人を愛するのではなく、その人をその人の人生のまま愛することのできる人間でありたい」という根底の考えだけは変えなくていいのかなと思いますし、そういう自分の価値判断には自信があります。

あとこれだけ言いましたが別に僕は賢い人間ではないです、バカとか言って今更後悔しています、、、

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