「吾輩はトランスジェンダーである」夏目漱石風
吾輩はトランスジェンダーである。名前はまだ無い。どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。ただ、身体の性別と心の性別が一致しないことだけは、確かに覚えている。
吾輩が初めて自分の性に対する違和感を覚えたのは、幼き日のことだった。友達と遊んでいる時、吾輩はいつも心の奥底に何かが違うと感じていた。身体は男として生まれたが、心は女であった。周囲の期待に応えるために男として振る舞うことは、吾輩にとって大いなる苦痛であった。
ある日、吾輩は母に「女の子の服が着たい」と言った。母は驚きとともに困惑し、笑って「そんなことを言うものではない」と諭した。吾輩はその言葉に傷つき、二度と自分の本当の気持ちを打ち明けることはなかった。
しかし、年月が経つにつれ、吾輩の心の叫びは日に日に大きくなり、抑えきれないものとなった。大学に進学し、自由な時間と空間を手に入れた吾輩は、少しずつ自分を解放することを学んだ。女性としての服を着て外に出ることは、最初は恐怖であったが、次第に解放感と喜びに変わっていった。
それでも、社会の目は冷たかった。周囲の人々からの偏見や差別に晒されながらも、吾輩は自分のアイデンティティを守り続けた。友人や家族に理解を求め、何度も話し合いを重ねた。その中で、吾輩の心に深い理解と愛を持って接してくれる人々に出会えたことは、何よりの救いであった。
吾輩は、自分がトランスジェンダーであることを誇りに思うようになった。身体の性別と心の性別が一致しないことは、決して恥ずべきことではない。むしろ、それは吾輩が独自の存在であることを示す証である。吾輩はこれからも、自分の真の姿を追い求め、堂々と生きていく覚悟である。
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