悟死。

幸甚とはまさにこのことか。私は不図、悟りました。今ここで生を諦めることが何よりの幸甚であると、私は悟ったのです。私は生に固陋で、執着していました。生きることのみが正義で、死することは悪徳であるとさえ思っていました。死することを堪らなく嫌煙し、厭々生きていたのです。これは、善く生きていると言えるのでしょうか。私は悟りました。私は知りすぎたのです。考えすぎたのです。そこに意味なんてないのに、意味を求めすぎたのです。私は人としての道を踏み外しました。私が望む先に、道はもうありません。私は人外の胡乱な何かなのです。そのような私が、どうして生を切望することができましょうか。私はついに悟ったのです。

才が宿る儘に死ぬことは悪なのでしょうか。私にはそう思えません。むしろ鮮やかに散ることで、その火花は美しく宙に映えるとさえ思います。限りある命ならば永遠に生きたい、と誰かは言いました。私もそう思います。私は儚げな暈でありたいのです。塵と成り、一切の思考から解き放たれたいのです。

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