グレゴリオ暦。

明後日が楽しみすぎで、明日がいらない。僕は悩んだ。こういうことが随分多い気がする。つまり、ぼくの尺度からすればグレゴリオ暦は随分不具合が多いのだ。

これまで何度も試みてきたが、僕がどう足掻いても明日はやってくる。僕にできることは、明日を明日と思わないことだけだ。例えば、今日と明日を隔つものが眠りだったら簡単だ。眠らなければいい。睡眠についての研究は戦後熱心に行われていて、夜を明かすことも昔に比べれば随分科学的にアプローチできる。しかし、どうもそれは違う。やはり、太陽を浴びてしまうと、僕は朝が、つまりは明日がやってきたと思ってしまうのだ。

朝日が昇る直前に、うんと眠れば長い1日と錯覚出来るかもしれない。しかし、僕はどんなに頑張っても13時間の睡眠が限界だ。眠るのにも才能がいる。それは、遠くにボールを投げられたり、芸術的な後ろ走りが出来ることと、同じなのだ。

そんなことを考えていると、1日はあっという間に過ぎていった。思索には、グレゴリオ暦の1日は短すぎる。

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