夢縛の風船。

まるで自分のことではないと感じるほどに昔の出来事である。あの頃僕は4歳か5歳で、住宅街の一角の公園でさえも冒険ができた。それくらい昔の出来事である。残念ながら、例えばそういう冒険のような希望の類の記憶は微かにしか残っていない。僕の記憶に残るのは、自分という不確かな存在に対する漠然とした不安であったり、自分が孕む暴力性に対する恐怖といった、内省的な思索ばかりである。それだから、奇妙なほど仔細に記憶しているその出来事は、私に何かを残したと思うのだ。

僕は紙の切れ端に夢を書かせられた。夢? 僕は当時、それを上手く言語化することができなかった。そういうタイプの子供だった。実際に何を書いたのかは憶えていない。多分、隣の子供が書いていたものをトレースしたのだと思う。そういった世渡りを、当時の僕は何故か心得ていたのだ。

その夢を書いた切れ端を、風船の紐に結び付けさせられた。一体どうしてそんなことをしなければならないのか、僕には上手く理解することができなかった。夢を空に放つことと、夢の成就を願うこととの間に繋がりが見いだせなかったのだ。しかし、僕は不満を飲んで周りに倣った。そして、不自然に夢を括られた風船を空に放った。

風船はそのうち破裂する。今になって思えば、それはもはや通例として夢が成就しないことに対するメタファーであるような気さえする。しかし、その奇妙な儀式は少年にも満たなかった僕に対して、確かに強制されたものだ。僕の一部には、その奇妙な儀式があり、夢縛の風船がある。破裂した風船を思いながら、僕は時々酒を飲んでいる。



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