我故我。

自分という存在は3つある。

1つ、実存的な自分。三次元という暫定的な世界に身を置く、我々が今存在していると感じている自分。

2つ、幻想的な自分。夢の中や、白昼の夢想で輝く自分。質量的な形は持たないが、それは確かに存在する。可能世界に生きる自分。

3つ、陰影的な自分。原理は鏡の虚像に近い。Aという自分(それは実存的もしくは幻想的)の、影にあたる部分。中庸を通り抜けた、まったくの陰の部分。我々は光が差し込むから影が生まれると考えがちだが、影から光が導かれる場合もある。对をなす自分。

3つの自分。それぞれが意志をもって動くと、どう足掻いてもしどろもどろだ。3つが呼吸を合わせ、正しいステップを踏むことで、自分という存在はようやく輪郭が生まれる。自分の輪郭を把握出来る人は、ほとんどいない。しかし、よく生きるとは、自分を理解することに他ならない。

なるほど、人生というのはやはり難解だ。だからこそ、その影として喜びがあるのだけれども。

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