哲学的ゾンビ。

僕は哲学的ゾンビという考え方を、ある意味では真理だと思っている。どれだけ技術が発展したとしても(それは今よりもずっと先の未来をも含む話だ)、他人の主観を追体験することはできえない。僕は、どう足掻こうとも僕以外の何物でもないし、他人は全くの他人であることを否定することはできない。他人がゾンビであったとしても検証のしようがないから、ゾンビである可能性を無下にはできない、というのが哲学的ゾンビの論理である。うん、これ以上ないほどにその通りだ。僕はいたって真面目に、あなた方をゾンビだと信じて疑うことはないのだ。

そこで、いくつかの疑問が生じる。いったいどうして、たった僕一人の人生に戦争や殺人が起こるのだろう? これは僕の人生であるはずなのに、僕に居心地が悪い出来事が、暫定的な社会には溢れている。この意味について考えている。感情的には到底認めることはできないが、それがもし必要であったとしたら? 僕はそういう可能性を、とても憎く思っている。しかし、完全に否定することはできないのだ。


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