欲望の狢。

欲望の狢(むじな)は、誰しもの心の中に住んでいる。心が形をもたないように、欲望の狢も形をもたない。しかし、必ず存在する。欲望の狢は、日常を嫌う。平穏な日常がいつまでも続くことが絵空事なのは、欲望の狢のせいである。欲望の狢が機嫌を損ねると、判断の主体が奪われてしまう。一夜の過ちや、後に理解に苦しむ言動や行動は、おおむね欲望の狢に支配されているからだ。(その一方、それ以外の理由が存在するところも、人間の恐ろしい部分である)

欲望の狢の前で、人は無力である。人間という一つの個体には、出来ること(趣向の限りを凝らした毒物を作る)があるのと同じように、出来ないこと(酒を飲んだ状態で媚態な人の誘いを断る)がある。この世で最も効果的な対処法が予防である。欲望の狢に対しても、そうする他がない。

我々は一つの警鐘として、同じような毎日を送ると老け込むように設計されている。もちろん、老け込むことに対する善し悪しは関係ない。しかし、少なくとも欲望の狢と上手く付き合っていきたい人は、時々旅行にでも行く方がベターであろう。

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