鈴虫。

夜明け前の静寂を鈴虫が埋めている。暗闇の中、私は天井を見つめてどこかで鳴く鈴虫に思いを馳せている。

脳は眠りを拒絶している。そういう夜がある。不安としか言うことのできない感情の、その果てしない漠然性に自己を喪失してしまう夜がある。掬った手から自己が零れ落ちる感覚は、とても痛切だ。巨人が愛好するプラモデルに置き換わったような塗炭。そういった夜の静寂は、まきびしのように私を待ち構え、寝返りを打つ度に私を突き刺す。

鈴虫がなぜあのような音色を獲得した(あるいは付与された)のか僕には分からない。なぜとある生物の求愛行動が、ある生物(服を着たり、毒を好んだりする奇妙な個体群)にとってあれほど心地よく響くのだろうか。それは、鈴虫にとって歓迎すべきことなのか、ある種の懲罰としてもたらされた合致なのか。この地球上に存在する数多のアノマリーのうちの一つと言ってしまえばそれまでだが、悠久の時を越えて続く関係性に、私は意味を見出したいのかも知れない。

鈴虫は、今も律儀に羽を擦り合わせている。私はその音色に謝意を示したいので、どうすれば伝わるかを熟慮している。


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