眠。

あるいは、眠ることと死することとの間に、僕らは底無しの谷を想像してしまうきらいがあるけれども、それは間違っているのかもしれない。例えば、血液に流し込むように飲んで酩酊していても、眠っている間にそれを自覚することは無い。朝目が覚めることで、起き上がれないくらい疲弊していたことに気づく。気怠さと倦怠感に苛まれるのは、起きているからだ。眠っている間、人は人であることすら忘れているのだ。

つまり、希死念慮というものを人間は必ず孕んでいる。辛さ、悲しさ、苦しさ……ありとあらゆる痛みの影には、死が佇んでいる。しかし、多くの人は同時に死に対して戦く。この矛盾の根因は、死する瞬間を意識していることだ。眠る瞬間を意識してしまえば、人は眠ることなんてできない。同様に、死というものを向う側に捉えていては、その虚像を掴むことはできない。死は外側にあるのではなく、内側にあるのだ。

要するに、僕達はもう死んでいる、とも言うことができる。死にたいと叫ぶことがどれどけ滑稽なことか、分かってもらえたかな? さぁ、新しい朝を精一杯生きよう。それを繰り返すだけだ。


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