背反。

視線を一身に浴びることが好きだった。何対もの眼球の中に、自分が認められることがたまらなく好きだった。一斉にこの身を捉えられると、僕の身体はわなわなと震える。人はそれを身震いといって「緊張」のカテゴリーに分類するが、それは本能的な恐怖を意図して犯すことに対する「快感」に近いと僕は感じている。

僕達は避けがたく哺乳類で(もっとも、服を脱いでしまえばその事実を認めざるをえないが)、サバンナに(あるいは大海に)生きた頃の追憶がDNAに刻み込まれている。視線を集めるということは、そのDNAに死を連想させる。僕達を睨むものは、決まって天敵や敵意を剥き出しにした何かだからだ。

そのような状況に自ら飛び込むことは、本能に反した行為である。僕達は言葉を獲得したことで、本能に反する悦楽をも見出してしまった。(マゾヒズムであったり、ニヒリズムであったり)それでも、地球を制圧したホモ・サピエンスとして生まれたからには、そのような悦楽を享受する個体でありたいと思う。

それだから僕は、舞台という空間をこよなく愛している。視線に穿たれ、逃げ出したくなる本能を押さえつけてしまうことが、どうしようもなく好きなのだ。

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