ヘテロセクシュアル。

僕は、ある女性を愛している。しかしそれが、世間一般で語られるところの愛であるかどうかに、僕は自信をもつことができない。

例えば、僕の友人達は当たり前の様に最大公約数的をさらに素因数分解したような振る舞いを対外的に示そうとする。まるで、自分達の存在が世界の形を司っていると言わんばかりに。あけすけな写真を撮り、時々真剣な表情を取り繕って見せる。少なくともこういうのに善し悪しはない。僕が言いたいのは、こういうのは下品だとかそういった議論を遮る類いの話ではなくて、認識の相違の話だ。つまり、そういうのが通例としての愛だというのなら、僕はその女性を愛しているとは言えない、かもしれないという可能性の話だ。

僕の感じている愛は、その女性を文学的に解剖したり、ある意味でのスクラップビルドを目論みたい、といった類いのものだ。うん、僕は自分のことを純粋なヘテロセクシャルだとずっと思っていたが、それには少し語弊がありそうだ。僕はその女性を思うと、内臓から手が伸びてくるとでも言えば良いのか、そういった渇望に似た何かを強く感じ表情が引きつってしまう。しかし、それが僕のセクシュアリティであり、愛にあることに変わりはない。オーケー、僕はその女性を愛しているのだ。

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