ネグローニ。

ジン、カンパリ、使い残したドライ・ベルモット。スイートベルモットが定石ではあるが、カクテルは時にレシピを越えた色褪せない情景を映す。


「〝初恋〟」

ワインレッドの唇から落とされたその言葉は、僕に絵画的な何かを感じさせた。

「初恋? 」

「ネグローニのカクテル言葉」

グラスに映える透明な赤褐色は、僕の視線をほしいままに奪った。

「そんなものがあるんですね」

「女の子を拐かしたいなら、それくらい知っていないと駄目よ」

ぼうや、と彼女が囁いたような気がした。その吐息に濡れる感触を、僕の耳朶はありありと記憶している。


ジン。買い直したカンパリ。そして、使い残したドライ・ベルモット。30mlずつをシェイカーに入れて、彼女を思い浮かべながらシェークする。氷と氷が、氷のスピリッツが、スピリッツとスピリッツが、混ざり合い調和を試みる。それぞれの声に耳を傾ける。オーケー。つまりはそういうことだ。ゆっくりと、そして大胆にグラスに注ぐ。

ネグローニ。初恋。僕は思うに、それが概形であろうとも、恋というものを知ってから、本当の初恋は訪れる。僕は、あの日彼女を見初めて、恋を知り、愛を求めた。彼女はギムレットを最後に、消えてしまった。ネグローニ。僕は時折、不格好なネグローニを作って、貴方を慈しんでいる。


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