母性の萌芽。

人の価値なるものに序列をつけることは不毛であるが、時々後ろを振り返った時に寄り掛かりたいと思う相手は自然と限られる。それは決まって、10代の前半の頃に思いを寄せた相手達だ。思春期と、妙に達観した諦念とが混沌としていたあの頃。今よりもずっと蓋然的に人生について考えていたあの頃。彼女らは、今も僕の心に根を張って光合成のような営みをしている。

僕は不思議に思う。僕はあの頃自分が何なのかさえ分からなかった。もちろん、今でも正確には分からないが、当時はその概形すらも想像することができなかった。それなのに、彼女らは僕のよすがたる形を確立していた。そこには確かな温もりがあり、母性の萌芽があった。同じくらい地球に回されているはずなのに、僕と彼女らには決定的な違いがあった。悶えることしかできない小童、包み込むことを知っている大樹。

僕は上手く大人になることができなくて、十年近い歳月が過ぎても変わらずに悶えることがある。そういった時、思い浮かぶのはあの瞬間の母なる者達だ。しかし、彼女らに再び逢うことはどうも叶いそうにはない。それが、母性の萌芽を享受した男の宿命であるらしいから。

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