A/B面。

レコードは少なくとも僕に一つの教訓を示してくれた。それは、A面という存在は、裏にB面があるからこそA面たらしむ、という事実だ。B面とのギャップが大きければ大きいほど、A面の素晴らしさが際立つ。そういうレコードを愛好していた僕は、自然と人のB面に注目する癖がついた。つまり、ぎょっとするようなB面をもつ者は、大抵素晴らしいA面を顔に浮かべているのだ。逆だと、必ずしもそうはいかない。世の中には、表も裏も月が思わず近づいてくるように綺麗な人もいる。B面→A面の場合は、概ね的を射ている。

Nは、僕の法則に当てはまった最初の人物だった。Nは、清潔感のある見た目で、頭も切れた。実家は地方で潤沢な資産を蓄えていて、おまけに呆れるほど強運だった。地球は彼を中心に回っている、と言ってしまうのは大袈裟だが、渦潮くらいは簡単にできてしまうような魅力を欲しいままにしていた。

「一八歳のいいところはさ」

Nは性格の良い悪魔みたいな表情を浮かべて、僕に呟いた。

「三年が経っても、二一歳なところなんだよ」

Nは、講師のアルバイトをしていた大学時代から、一八歳の生徒と寝る癖があった。男も女も、Nの前では無力だった。全ての一八歳の前で、Nの声や仕草は、余りに強力な媚薬になった。しかし、トラブルは何も起きなかった。Nはトラブルを未然に防ぐことに対して、有り余る才のパロメーターを存分に割り振っていたのだ。

「君は、官僚にでもなった方がよかったよ」

Nは大学卒業後に学習塾を独立し、軌道に乗せた後はフランチャイルズ化をした。(もちろんそれに時間はかからなかった)そして、相変わらず一八歳と寝る生活を続けていた。

「確かに、そういうのも悪くなかったな」

N自身も、自分の行動を最後まで理解することはできなかった。宿痾とよぶほかがない。Nは三五歳の秋、二一歳の女に刺殺された。それが、Nの順風かつ淫蕩な人生で起こした、唯一のトラブルだった。

Nが死んで初めて、多くの人はその忸怩たるB面に気付くこととなった。それだから、ただでさえ居心地の悪い葬式は、まったく悲惨な空気が流れていた。しかし、と僕は思う。しかし、そのB面があったから、NのA面はありありと輝いていたのだ。僕は今でも時々、彼の人生を裏返してレコードにかけている。

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