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ヨロイマイクロノベルその15

141.
川面は花びらで覆われていた。けれど一本も桜の樹が見当たらない。気になって上流へ向かって土手を歩く。花筏の景色はいつまでも続いた。夕暮れ前になり、スポーツドリンクの粉を撒いている老人に出会う。これが四月の川に溶けると春の終わり風になるのさ、と潰れた声で教えてくれた。

142.
「もう転がす時代は終わりだ」とフンコロガサナイが言う。そいつは糞を立方体に固める。球体派のフンコロガシとの対立は必至だ。にらみ合いと罵り合いが長く続いた。両派の糞が完全に乾き切るころ、未曾有の巨大地震が起こる。地面は隆起し、傾いたその上を転がり、全ては落ち続ける。

143.
雨に濡れた黄色い花たちを縁側から眺めていると、男がずかずかと入ってきた。「足湯で奥さんを見ましたよ」。いったい誰の話なのかわからない。庭中を踏みつけるように男は去る。花びらに浮かぶ水玉のいくつかは弾けず、ゴム長靴にくっついた。小さな透明の粒が緩慢に滑り落ちていく。

144.
見世物小屋からの帰り道、あやしい太鼓の音がついてきた。だんだん、だだだん。細い道を進んでも僕の後ろで音は鳴る。こんな話はちっとも聞いていない。振り向いても何も見えない。無人の通りの奥に夕焼けが広がっている。すべて溶けてしまったみたいに赤い太陽がどろりと落ちていく。

145.
ニッカポッカを履いてみたい、と息子は家を出る。半月後、川沿いの立体駐車場の隅に泥まみれで横になっていた。息子はポケットからくしゃくしゃの紙を出す。開くと「カルテル→トラスト→???」と太字で書いてあった。ポケットの白い生地をでろんと出したまま、息子は丸まって眠る。

146.
苔むす石段を昇り続けている。踏みしめる度、じゅっ、と燃えるような音が鳴る。雨の匂いだけが漂う。やがて小太りで頬かむりをした古いタイプの泥棒が降りてくる。すれ違い際、ふぃふぃ、と笑った気がした。その背中に赤黒く濡れた猿がしがみついている。私の足取りが重くなり始める。

147.
「ねえ、逆回転になってる」。目覚めたばかりの彼女が声を震わせる。ぺろぺろキャンディの模様が変わっているらしい。昨夜、お祭で買ったやつだ。包装用のセロファンの下で鮮やかなぐるぐるが歪んで見える。回転が逆でも怖いし、それに彼女が気づくこと、舐め始めているのももう怖い。

148.
「春の残りは要りませんか。さくら、さくら、さくらです」。川縁に立つ売り子の声。プラスティックの容器にはピンク色の塊がいくつか入っている。それはどう見てもチョコ菓子だ。売り子はやけに恥ずかしそうで視線を逸らす。ピンク色の表面は溶けかけている。夏がもうすぐ近くにある。

149.
「三つ目 ハムカツ 銀婚式」。真夜中、クイーンがお題を読み上げる。我々は回し車の中で走りながらこの三語で物語を生む。新手のシェラザードには心肺の強さも必須なのだ。女王の叱咤で隣の男のスピードが劇的に上がる。回答権を得たその男は息を切らして、刹那的ストーリーを語る。

150.
チェリーセージの花びらを切る。赤と白でわけて、どちらが長く色を保つか試す。言い出しっぺの地主は高熱を出し、不器用な私がやることになった。花びらは小さく、切るに忍びない。私は泣きながら次々に鋏を入れていく。赤と白が曖昧に離れる。左右で腕の太さが明らかに変わってくる。


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