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ヨロイマイクロノベルその2

11.
世界の白と黒が入れ替わる。四年に一度、真夜中のほんの数秒だけ。宿直中のパンダの飼育員は檻の中でその瞬間を目撃した。「あれはもはや熊だった、熊以上かも」と数日寝込むことになる。一方、ゼブラの飼育員も縦じま模様逆転の状況に直面したにも関わらず、まるで気づかなかった。


12.
風鈴の幽霊がガールフレンドにとり憑いた。彼女が歩くだけで涼しげな音が鳴る。ささやき声にも重なって風情が漂う。喧嘩のときだって凛とした響きが空気を変えるから、穏やかに受け止めることができる。ただ、冬のど真ん中なんだよなあ。夏になるまでいてくれるかな、幽霊も、彼女も。


13.
赤ん坊のつむじから紐が伸びていた。授乳しながら迷い続ける。結局、それを引き抜いた。赤子は驚いた表情を浮かべ、乳房から唇を離す。その子は叫び泣き、瞬く間に成長していく。それは見知らぬ男だった。「母さん」。呼びかけるその声は震えていた。紐を落とし、私は胸元を手で覆う。


14.
赤のガレージに牛が突進してくる。それも乳牛だ。騒々しい激突は一晩中続く。シャッターは無事に持ちこたえ、頑丈な牛も消えた。朝方、白んだ空の下、様子を見に行く。シャッターは星形にへこんでいる。地面にはミルクが飛び散り、白いハートが浮かぶ。そして朝刊の配達は遅れている。


15.
大統領の体内に新たな島が見つかった。南国風の木だって生えている。確認できた住人は四名。父母姉妹の家族なのかもしれない。まだ彼らとの接触は叶わず、今も島は漂流し続けている。担当医は誰にも報告していない。血圧で潮の流れも変わる。これは非常にデリケートな問題なのだ。


16.
「あごにフックをつけたから何かかけて」。死んだ息子がやって来た。すでに縄跳びやら本物の縄やらキャップやらエコバッグなんかがかかっている。まあ、すごいじゃない。彼は自慢げに、くい、と顔を上げる。ぶら下がっているものたちが揺れる。私は臍の緒を引っかけて息子を送り返す。


17.
約束を破って、鏡越しに窓からの景色を見てしまった。空一面が黄緑色に染まっている。大量の影が上下に過る。鳥たちが昇り、降ちる姿だ。鳴き声はしない。牡蛎のシチューの匂いが漂う。少し焦げかけているかも。鏡から視線を離す。ばさり。庭に何かが落ちた。妻がもうすぐ帰ってくる。


18.
川底を抜けた水のないところを歩く。水色のミトンの左手がひどく乾いた土の上に落ちている。やさしくて親切な道案内みたいだ。控えめな親指はもう一方向を示す。それらの先に見えるのは騙馬の死骸、そして十字架の森。せせらぎは過去の話で、今や誰かのすすり泣きしか聞こえてこない。


19.
彼女は写真の中でも目を瞑っている。その顔に触れてみる。手のひらでは大きすぎる。人差し指のはらで白い頬や薄いまぶたを軽く撫でる。つるりとした感触と冷ややかさを確かめつつ想った。彼女が目を覚ましますように。彼女が目を覚ましますように。どうか彼女が目を覚ましますように。


20.
「一人飛ばして別嬪さん」のくだりで、かつて飛ばされた者たちが集まった。中年男や幼児はもちろん、遺影を抱える家族の姿もあった。ステージに現れた二人組の顔は青白く、マイクを前に黙る。一人が両目を覆う。もう片方は口を塞ぐ。沈黙の劇場内でやがて赤ん坊がけたけた声をあげる。


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