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第七液

夢なんて描いたことがない

親父が来るっていうだけで大騒ぎだな

伊豆にある名門のゴルフ場まであと少しのところで、検問やら報道陣やらでごった返し、渋滞していた

親父の政治戦略は、いうなれば炎上商法みたいなものだ

マスコミが喜びそうな話題を提供し知名度をあげ、仲間であるはずの政治家たちに、あえて重箱の隅までつつかせ、常に時の人であることでその知名度を維持する

それでいて一国の首相にまで登りつめたのだから、見事なものだ

いまも、些細な金銭のやりとり、しかも、親父ではなく母の問題でマスコミを騒がせている

そんな最中に、派閥恒例の豪華なゴルフ大会を敢行しようとしていた

普段は来場者も限られ静寂に包まれているであろう名門会員制ゴルフ倶楽部も、ご覧の有り様

他の倶楽部のメンバーのためとはいえ、おいそれとは断れない。なにせ派閥の大半がそのメンバーでもある

ゴルフ自体には参加しない。が、そのあとに執り行われるパーティには出席するよう言われていた

地盤を継ぐための準備であり、代々そうしてきた

その時間を見計らってゴルフ場に着くように来たわけだが、だいぶ手前でこの様子だと、近づいていくにつれ面倒なことになる

別の道はないか?と前の座席に向かって言うと、助手席にいた秘書が調べてあるという

最初からそうしない理由は、親父さながら「わざと」ごった返した中を行く、という選択肢もあるからで、別に秘書の落ち度というわけでも、配慮がないわけでもない

そうやって選択肢に対しての下調べや準備を怠たらない、なかなか卒がない秘書であり、やはり政治家を志望している

道をそれ、しばらく行くと海沿いの道にでた

晴れわたり、遠くの島まで良くみえる。海の青と緑と紅葉のコントラスト

このまま車を走らせているのも悪くない

ふと、一軒のカフェが目に止まった

いや、カフェが目に止まったのではない

目に止まったのは、人だ

あれは…

すでに通りすぎていたが「コーヒーでも買おう」と戻らせた

秘書が買ってこようとしたのを制して「知り合いかもしれない」と待機するように伝え、カフェの扉を開けた

カウンターの向こう側には大きな窓、まるで海の上に浮かんでいるような気になる

店主らしき男性が、カウンターの向こうからこちらをみて、驚いたような顔をしたが、それは一瞬だけで、すぐになにかを察したように元に戻った

「久しぶり、だよな?」

ほぼ同時に同じセリフ、見つめ合い変な間ができた

「コーヒー3つ、テイクアウトで頼めるか?」

「ブラックでいいか?」

「それでいい」

「15分くらいかかるが、時間は大丈夫か?」

15分か。少し話をするのにはちょうどいい時間だ

「かまわない」

カウンターの上に、1リットルサイズくらいだろうか、分厚目の持ち手の付いたガラス瓶を置いた

同じものが2つ

挽いてあったのか、すでに粉状になっているコーヒーを、そのひとつにそのまま入れた

さらに、なにか薄茶色の粉を足す

「それはなんだ?」

「オリジナルのスパイスだよ」

そこにお湯を注ぐ、4分の1ほど

そこでしばらく動きが止まる、蒸らしているらしい

コーヒーと、そのオリジナルスパイスとやらの薫りが仄かに漂う

「エミは元気か?」

「別れたよ」

この男の名前は佐々木
大学時代、同じ女性を奪いあった

かたや経営者
かたや政治家

互いに成功者と呼ばれる類の家に生まれ育った2人

同じ親のスネかじりでも、ビジネスと政治とではこんなにも違うものか、と最初に感じたのは、この男との大学での出会いだった

甘いマスク、という言葉があるが、大学で佐々木を見てはじめてその言葉を「なるほどな」と思った

痩身で背も高い

酒も女も薬も、夜遊びも。あまりに自由な佐々木を、たいていの場合は羨ましいと思っていた

だが同時に、それを愚かだと蔑んでいる自分がいたことも確かだ

恵まれた家庭の生まれという以外は、価値観もライフスタイルも異る2人だったが、ひとつだけ一致していることがあった

夢がない

成りたいことも、やりたいことも、未来のことも、生活する苦労も、生きていくことへの心配も懸念も、そういったものとは一切無縁である、という点で最大の一致をえていた

同じ学年、同じ学部、同じ専攻ということもあり、キャンパスにいるときは、ともに過ごすことが多かった

何を語るわけでもない、それがよかった

そして、エミは最終的に佐々木を選んだ。当時はそれを理解できなかった

コーヒーを蒸らしていた瓶に、またお湯を注ぎ始めた

今度は瓶の9割ほど埋まるまで注ぐ

マドラーのようなもので掻き混ぜて、また動きが止まった

「ひとりでやってるのか?」

「違う。が、今日はひとりだな。ここはメインの国道からは外れてる。平日だし、知ってる人しか通らない」

「お前の店じゃないのか?」

「違う。持ち主は別だ。勝手に来て、勝手にコーヒーを淹れてる」

「お店じゃないのか?」

「違う。もともとレストランだった建物だから、こうやってここにいると、たまに人が来てしまう」

そこで会話も止まってしまった

沈黙の中にコーヒーの薫りだけが漂う

掻き混ぜて置いていた瓶を持ち、もうひとつの瓶にゆっくりと注ぎ始めた

フィルターや「濾す」器具はなにもなく、そのまま移し替えるように、瓶から瓶へ注いでいる

「不思議な淹れ方だな、それだと粉が入ってしまう」

「下に沈んでる。それが浮き上がってこないように、鎮かに注ぐ」

「ハワイにコナコーヒーってのがあるけど、それは粉コーヒーだな」

またしばしの鎮黙

「さっきのスパイス、あれにココアの粉も混ぜてある。粉っぽい感じが子供のときに飲んだココアみたいでね。豆も出来るだけ細かい粉になるように挽いてる」

無事移し替え終わった

「紙コップがあってよかったよ」と言いながら、3つの紙コップを並べ、注いでいる

「フタはないが、大丈夫か?」

「たしかに車で飲むのは危険だな」

そういえば、紙コップにフタがついたのはいつ頃なのだろう。昔はどうしてたのだろうか

子供のときに紙コップで買える自動販売機があったが、たしかフタはなかった

少なくとも、コーヒーを飲むようになったときには、すでにプラスチックのフタがついていた

「少し少なめにいれておくよ」

「いや、その2つは置いて行くよ」

そのまま持って行っても、秘書もドライバーも気を使うだけだ

「これ、持っていけよ」

いつのまにか、カウンターにペットボトルのお茶が2本置かれていた

会計をしようとしたのがわかったのか

「ここはお店じゃないって言ったろ?もしかしてもう賄賂になるのか?」

「ならない。じゃ、ありがたくいただいておく」

外に出て、車に戻った

佐々木は店からは出てこなかった

車が走り出す

渡されたコーヒーを飲んでみた

粉っぽい感じが、たしかに子供の頃につくってもらったココアのようだった


今液はこれにて


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