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創作活動 と 環境デザイン

おもしろいものを創りたい

そう願い、創作活動を続ければ続けるほど

いや、そう願い活動してしまったからこそ、才能というものを知り、奇才天才たちに、その作品に触れるたびに打ちのめされる

すでに世には必要充分なコンテンツで溢れかえってしまっていて、もう自分の出番など、袖の隙間ほども……通常よりもさらに極小の針の穴ほどもないのではないかと

でも、それは「対比」においてのこと

自と他を比べるからこそ生まれるものであって、なぜ創作するのか?と自らにのみ問うと、少し話は変わってくる

自らに問い、察するに、どうやら「言いたいこと」が山ほど、おっと僕の場合だと「海ほど」にあるらしい

問題は、それをどう表現し、どう他の人たちの脳にブチ込んでいくか

その点に於いてのみ考えるのであれば、他の人の才能など、表現の素晴らしさなど、アテにならないのだ

なぜなら「言いたいこと」は自分にしかわからないのだから

ともすれば、いまは打ちのめされてしまうだけの「才能たち」に感謝する日も来るかもしれない

もし、だ、もし、ちゃんと創作できたら、表現できたら、そこからインスピレーションを受けて、それぞれの才において別の表現として換骨奪胎してくれるかもしれないからだ

いまの自分に残されている表現手法とはなんだろうか

思えばたくさんの可能性を溶解(とか)してきた

すべて溶解てしまえば、表現も他に委ね、もう諦めもついたろうに、まだ「書く」という可能性が残っていることに気がついてしまった

「人類の可能性の最大化」を標榜する学校を創るにしろ、福沢諭吉がごとく「学問のススメ」を記せたら、このカラダが朽ちたのちも遺る、遺すことができる

そもそも自らの可能性を、その時々であっても、最大化できていないものが、何を以て「可能性の最大化」なぞ説くのか

可能性が一縷でもあるのであれば、チャレンジせずして仕舞うこと能わず

早いこと諦めもつけば、次の手立てを模索していただろうに。まだ挑戦は続いている

この「 note 」だ

たのしく・おいしい、そんな人類の生存戦略を練りたいがための環境デザインであり、セカウマも学校も、そのひとつ

そこに己が文才が足されれば、すべての底上げになる

底上げだから、目指すのを辞めたわけでもなく、諦めたわけでもなく、その逆

辿りつくことに代わりはない

が、その質や、経年劣化しないどころか進化し続けるものになるか否かは、文才云々の成果によって大きく変わってくるはず

文豪でありたい

そう願い今日もカキます

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