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年が明けたので、久々筋トレの話

西暦が2022年から2023年になって、干支が寅から卯に変わっても、何か生活に大きな変化があるわけではないし、日々のルーティーンを大切にする自閉症からすれば、何も大きく変わらない方が良いことである気がしています。
年末年始も特に大きく何かそれらしいことをしたという訳ではなく、強いて言えば、数回外食する機会があったという感じでしょうか。そういう意味では、普段から人と会うという目的に結びつける手段として季節を用いることはあるので、年末年始らしいことを一部したのかもしれません。
それによって体重が2kg増え、増量3kgから減量に向かう予定が、5kg増えた状態から減量に入ることになったくらいですね・・・いや3kg増やす予定が5kg増えたって、予定の7割近く超過だから本当は駄目なんですけど。
でも3日で結局1kg落ちたので、増えた分の殆どが水分だったと思っています。減量は順調です。

今日はそんな減量とか、筋トレとか、年明け義弟との合トレで色々感じることとかあったので、振り返りながら書いて行ければ良いと思います。

そもそも何故トレーニングするのか

結局のところ、これだと思うんです。
以前、筋トレが好き、スキになりました。という記事に書いた通り、基本的に筋トレは好きです。ですが、仮に筋トレしなくてもバキバキに見てくれの良い身体になって、食っちゃ寝していてもそれを維持できるのであれば、もしかしたら筋トレをしなくなるかもしれません。
筋トレして、食事制限して身体を変えようという意思があるということは、現状の身体に何かしら不満があるのでしょう。これも過去に触れていますが、現状自分の身体が完成された美しさを保っているとは微塵も思っていません。とは言えボディビルダーほどストイックなトレーニングと食事制限しているわけではなく、毎年そこまで頑張らなくてもやれる範囲で身体作りをしています。

そう考えると、年齢や身体の古傷、才能の限界といったことをある程度受け入れて、その上でトレーニングしていると言う事になると思います。もっと言えば、そういった輝かしい未来のある状況ではないとしてもやる価値がある行為だという確信があるのかもしれません。
では何故そんな風に思っているのか、そこを深堀出来れば良いのかなと考えました。

筋トレする人に対する世間の印象

今続ける理由の1つは、多分これになるのかと思います。
少し前まで、筋トレする男性=ナルシストみたいな印象がありましたし、男性も女性もガリガリであればあるほど良いみたいな風潮があったような気がしています。
そこから先ずはモデル業界で変化が起こり、細見で服を着こなすよりも、健康的なボディラインのある身体が美しいと評価されるようになりました。
その後テニスのシャラポワのような、モデルも兼業する美しいアスリートに注目が集まるようになり、気が付けばテレビに出るタレントは、所謂おデブキャラで売らないのであれば、パーソナルジムである程度身体を作るのが当たり前という時代に変わってきたように思います。
筋トレして作ったからだが美しいと女性が気付くようになれば、当然このタフでキツイ筋トレを行う男性に対して嫌悪感が無くなっていくのも当然の流れだったのかな、と思います。

もう2年前だと思うんですけど、小島瑠璃子さんが筋トレしている男性のことを評価しない旨の発言をして大分炎上したことがあったことは、筋トレ界隈ではまだ記憶に新しいと思いますが、その後テレ朝だかTBSだかの番組が行った街頭調査で、渋谷~池袋辺りにいる1~30代の女性で筋トレしている男性に対して悪い印象を持つ人は、もう2割ほどしかおらず、逆に半数以上は好印象だそうです。
そういう点で、ある程度ストイックに見える程度に筋トレし続ける自分をブランディングするのは効率が良いと思うし、その手段として筋トレを続けているというのはあると思っています。

と、ここまで女性から見た男性の話をしてきましたが、男性諸君は北斗の拳やらドラゴンボールを見て育ってきてるでしょうから、バキバキに発達した筋骨隆々の男性を見て、嫌悪感何て元々感じるどころか、憧れと尊敬の眼差しを持って接していたはずと思っているので、今更言及するのも野暮だと思っています。

姿勢の改善

もう1つ大きな要素としては、これですかね。
私のトレーニングは、基本的にコンパウンド種目が多く、コンパウンド種目を突き詰めていくと、肩関節下方回旋運動という肩から背中にかけての運動が重要であることが分かってきます。この肩関節下方回旋運動が上手く出来ると、胸がしっかりと起きて、非常に姿勢が良く見えるようになります。
昔別途行った滑舌のトレーニングと併せて、常に姿勢良く、相手と対面で話すときにしっかりと喋ることが出来ることは、利害関係とか抜きに相手と仲良くなりたい時には大事なことなのかな、と思っています。

加えて私の場合、座高が異常に低く、大転子が高い位置にあります。
簡単に言うと、身体のサイズに対して脚が長く、座ると小さくなり、そこから立ち上がった時の目線の高さが大きく変わります。
大抵の女性と横並びや対面で座った時、座った時はほぼ同じ目線になりますが、立つと明らかに目線の位置が変わるので、肩幅の広さも相まって、実際の身長よりも数センチ高いと思われていることが多いようです。
脚や腰回りが太すぎて、長く見えないという点では損していますが、数字に見えない範囲では得しているような気がします。
それも、常に良い姿勢であることと、鏡を見ながら自分や他者を観察してきたからこそ知ることが出来た自分の特徴なのかな、と思っています。

鏡を見る

ジムには大抵、大きな鏡があります。
私は鏡を見て、自分を見ることに大きな価値を感じていて、特にジムではスクワットする時とか、デッドリフトする時とか、自分の顔が苦しく歪む瞬間を鏡で見る機会が多いのです。そんな苦しい中で、鏡を見ながら身体を動かし、自分自身をある程度客観的に評価するように努める行為が、人を見た時の寛容さを生むような気がしています。
自分自身完璧な美しさで、しゃがんで立つ動作すら出来ていないのに、人間が色々な物事を完璧に出来ないことは当たり前であるということ。そして、それを自覚している人に、あれこれ言うことには大きな意味が無いこと。
自覚していないヒトは、人間とは程遠い存在なんだって思えるような思考に落ち着いて至ることが、自身の安定性に繋がっているように感じます。

他のコト

正直に言えば、この3個が凄く今は大きくて、ある種自分の中にも承認されたい欲求ってある程度あるんだな、と思っています。
それ以上に、自分のことを好きになりたいから続けているという面はあると思っていますし、その自分が好きになった自分を、より多くの人に気に入ってもらう手段としての筋トレな気がしています。
目的としての筋トレという要素は、年々薄れている気はします。

私には精神的な、というよりは脳の構造的な問題があって、自閉症で、普通のヒトみたいに生活していくことがとても難しかった。そういう人は鬱になりやすくて、鬱は筋トレすると改善されるみたいなことが言われていたけど、最近は否定されつつありますから、これは今は理由からは外れますね。
私は、元々精神的な理由で筋トレしているわけでは無いですけど、筋トレするのは自分に合っていたから、続ける価値があったし、続けられる才能があったと思っていて、他の精神疾患を持つ人に、やってみたら良いんじゃない?とは勧めるけど、やってみて合わなければ、別のことを探すのが良いと思いますよ、程度のスタンスだったりします。

後は玄関を開けて外に出るきっかけ、理由付けとしてのジム通いも自分の中では凄く大きくて、多少なりとも外に出ると、見てくれを整えようとするし、その積み重ねが人と会うときの自信に繋がると思っています。その繋がりがあるからか、家の目の前のコンビニに行く時の、部屋着から少し余所行きのモノに着替える行為すら、面倒事ではなく、必要だから当たり前のようにすることが出来る、何かするハードルが自然と下がっているように感じられるのは、このジムに行く習慣があるからなのかな、と思っています。


改めて整理すると、なんだかんだ筋トレする自分は好きだし、そこを好いてくれる人が居るから、というのが大きな理由な気がしてきました。
それもそれで、何もなく孤独を感じるよりも良いことだと思うし、続けられるうちは、続けていくのだと思います。
最後になりますが、今年のジム通いを手段として行う最初の目的は、減量になります。例年7kg落として、3kg増やすというペースでやっていますが、今年は2kg余計に増えたので、9kg落とすことになります。そうやって年々身体を変えていく中で、また何か自分の中で新しい目標が生まれたり、目的が生まれたりしていくものだと思っています。

思えば、最初にジムに行き始めたのも、親の法人カードでタダで行けて、かつそのジムに卓球台があったからという、今の私からは想像するのも難しい理由ですし、行っていたのも週に1度くらいでした。
気付けば週6で通い、肘の大怪我を経験し、それでも尚鏡を見ながら自分自身を理解するためにバーベルを上げ続けているわけですから、自閉症というものは、本当に不思議なものだと思います。

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