雑筆:筆ならしのためのワルツ

すんませーん、突然趣を異にして詩なんか書いたり短歌を何発か出したりするんですが、これは普通に筆ならしのためです。まあ見るなら見ていただいてもいいし。ホントは見てくれないほうが良いんですが。

海辺の魚市場で
ぼくたちははだかで立ち尽くした
ぐわんぐわんと頭蓋に鳴り響く異界の音は
あるいは取引のおと
なぜ異界などと?
いやだったのだろうね
たぶん拒絶だ 金銭への
みずみずしい乳房のような
レモンをかしっとかじる
爆弾処理のようだ
ちょっと怖気づいた
その汁気とあおさとやわらかさに
レモンは受け入れたかな
あれはしずかだった
大人だったのだね

ああ、風そっとレモンをかじるぷしっと汁が出るほうに賭けたんだが

テレビできみを見たんだよ
いや正確にはきみの似姿だったかもしれないが
でもとにかくきみだった
きみはコーラをのんでいた
(あるいはチャーハンだったかもしれない。それはどうだっていいんだが)
まるで鏡のようじゃないかい
あゝ死ねばいいのに
ちょっと花瓶の薔薇をみやる
まだ枯れないよ
(あるいはもう枯れているからこれ以上はむり?)
なんというか
薔薇であってもコーラであっても
きみに似ている気がするんだな
まあぼくは玉こんにゃくに味噌をつけた菜の花だけれどね
菜の花は隘路にはまったのかもしれない
映し出すものはすべて
薔薇

水鏡はたしてそれは水鏡花をうつして花を咲かせず

あの地平線までともに走った時まだわたしの心の中には守るべきなにかがあった気がしたんだ。あるいは守るべきなにかがあったと思うことで自らを守っているのかもしれない。
(うみがまっているよ)
果たして空の青さが尽きることをしることはできるだろうか。ぐわっと見上げてみる、かぶりついて全てを終わらせるように。そのときぼくの胸に去来した思いとは何だったか。そこを飛ぶ白い鳥ならなにか知っているだろうか。
(うみがまっているよ)
親父はガラスづくりの名手だった。親父の手のひらからはいともたやすく新しい作品が次々に作られるものだから、わたしはその度世界が作られているのだと思った。今はどうだろう。わたしの手には一匹のみみずがいる。
(うみがまっているよ)
どこまでも焼き尽くすような太陽に背を向けているとき、わたしは親父たちに背を向けている気分になる。いや、違う?なんだろうね。地面を見てみる。砂でできている。もすこし視点をずらしていた。
海はそこで待っていた。
ごめん、母さん。

燃ゆる地平に背をふと向けてみたらマリンブルーそこにいたんだなあ


以上でーす。難しかった…やっぱジュンク堂か古本屋にでも行って現代詩文庫一山いくらてにいれたり詩の本や雑誌を買うようにするしかないようです。うーん、どっかにコンスタントに送るかメモの習慣をつけるとネタが増えそうなんですけどねえ。露骨に引き出しが少なかったですね。反省点です。


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