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宇宙と死ぬことと、あなたの為の扉

酔っぱらっていたからでしょうか。

終電間近の地下鉄で、思わず涙を流してしまった。

大学の先輩が名古屋に来てくれたから、飲み会をして、大好きなお友達と「オールなんてとてもじゃないけど、体力的に無理です。ごめんなさい!」と帰ることにした。

懐かしかったねとか笑いながら話しながら、そういえばね、と、友達が自分が描いたイラストの写真を私に見せてくれた。

それは宇宙の中に、象徴的なイメージが散らばっていて、お世辞にも上手とは言えなかった。でも、絵を描くことを楽しんで、自分のために描いた素敵な作品だった。

「私はね、今もふいに死ぬことが怖くてたまらなくなることがあって、そんな時はいつも『宇宙』が思い浮かぶの。だから、そんな不安を描いてみたんだ」

そう言った友達に私は尋ねる。

「この扉はどういう意味なの?」

イラストの端に、確固たる存在感を持った、一つの扉が描かれていた。

「旦那さんに、その話をしたら、そんな不安な気持ちの中に僕がいつでも行けるように、僕の為の扉を加えてって言ってくれたから」

と笑って答えた。

私はその話を聞きながら、不覚にもぽろぽろっと涙が零れ落ちた。

「やだ。酔っぱらってるね」

「いや、違うよ」

笑いながらそう言う彼女に、私は懸命に否定した。

きっとほとんど全ての人が、死への恐怖で苦しんだことがあるんじゃないかな?

私も物心ついた頃、不意にその恐怖に襲われて、夜眠りに着く前に時々一人で泣いた。同じ部屋で寝ている姉の寝息が、のんきに思えて意地悪で鼻を数秒つまんでしまうくらい意地悪な子供でもあった。

母は、残念ながら「死んだらどうなるの?」に上手に答えられるようなタイプの人ではなかった。だから、私はその不安を一人で抱え、夜寝れなくなると、別室で洗濯をたたむ母の後姿を見に走った。

大人になると日常の忙しさで、それどころではなくなり、

うまく忘れることが出来た。考えなくても生きていける。

でも、大学生の頃、私は友達を事故で失った。

彼のお葬式の後、不謹慎ながら、私は彼のため以上に、自分自身の胸に抱えていた死への恐怖を思い出し、一人暮らしの部屋で少しだけパニックになってしまった。

そんな時に、当時の恋人は、私を抱きしめて「大丈夫だよ。みんな、みんな、同じことを経験するんだよ」と私に穏やかに言ってくれた。

「あなたは怖くないの?」と尋ねると彼は、「怖くない」と答えた。

とうに別れてしまった彼にその気持ちが真実だったのか、もう問うことはできない。でも、あの時そっと寄り添ってくれたあたたかさを私は忘れることが出来ない。

恋人に求めるものは、人それぞれだけど、死という人間にとって最も重要な問題を一緒に見つめてくれるということは、愛しいことだと思った。

私は、学生時代の彼が恋しくて、また、目の前の大切な友達が幸せな結婚をしていることが嬉しくて、心の中がぎゅっとなった。とても感動した。

同時に、恋人に求める条件がまた一つ増えてしまって、困ったなぁと思ったりもした。でも、そんな大切なことに気付けて良かったと思う。

それから、一晩経ってもう一つ思ったことがる。

私たちは年齢が上がり、周りに影響され、普通のこととして母になることを望む。

(もちろん、そうでない場合やそれを選ばない場合も多いですが、結婚した多くの女性が疑問を持たず母になることを選ぶのではないかなとと思っております。)

本当は、誰かのお母さんになることは、すごく重たい、恐ろしいくらいに尊いものだと思う。

私はもちろん私の母を愛しているし、たまらなく感謝しているけど、

私がいつか母親になれる日が来るなら、どうかわが子が抱えるであろう死への恐怖や不安に何かしら自分の答えを言ってあげられるようになりたい。

例え、自分自身でその問いの答えが見つからず苦しんでいたとしても、その点に関しては強い母親でありたいと思った。

私の描く、死への恐怖、不安のイメージをそっと誰かが共有してくれる日が、

同じように大切な人のその気持ちに寄り添えるような日が、

いつか訪れることを願いながら。

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