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いったい私たちはいつから、それでも好きな大切な人に好きって言わないでいられるようになったのだろう。

私はいい女と言われるような恋愛上手な美しい女性ではないし、二十と七年生きてきて、むしろ面倒くさいタイプの女だと自覚している。

恋愛体質で、のめりこみやすいし、失恋しても引きずる。

友達に恋愛相談して、呆れられることもたくさん。お説教されることもあるし、気づいたら浮気相手になっていただとか、迂闊だった失敗談を自虐して笑ってもらうこともある。

流石にたくさんのことを勉強して、だめだだめだと自分を客観的に見る術をここ数年で前より身に着けることが出来てきた。

そして、最近、失恋をしたのですが、表題のことを考えずにはいられませんでした。

「いったい私たちはいつから、それでも好きな大切な人に好きって言わないでいられるようになったのだろう。」

失恋した相手は、旅をしている人で、まだまだ3年くらい旅をするつもりで、結婚願望もない方で、もちろん私に魅力がなかったのもあって、うまくいくことができませんでした。

初恋をしてから、時には結ばれ、時にはうまくいかず、そんな風に人を好きになって生きてきた。
そして、これは初めて失恋した時から思っていたのだけど、

「相手が自分を好きじゃないという理由で、相手への気持ちが薄れるわけない」

というものです。

私が恋をしたのは、その人の性格や考えや些細なしぐさによるもので、私への好意の有無は関係ないです。

だから、失恋したからと言っても、その人を好きなままでいてしまう。

でも、それはもうまさに恋愛体質な重たい面倒くさい女の典型が抱く思考だと思う。

そして、私はもうこんな年齢だからさすがにそんな風にずっと想っていても、いいことないと悟ってしまったのです。

だから、今回失恋したときに、私はそれでもやはり大切だなって心の底から思ったけれど、もうそんな馬鹿なことを言葉にして伝えるのはやめようと思いました。

おそらくそれは、単純で
「私が失恋しても変わらず、あなたを好きでいることで、あなたの気持ちを変えることはできない」
からだと思う。

失恋しても大切な人に好きって言わなくなったのは、そんなことしても何も変わらないと学んだから。

大変時間はかかったけど、そうやって合理的になることを学んだんだなと思う。
もうこれ以上傷つかないですむ方法を。

でも、タイトルの言葉を心の中でつぶやく時、本当に本当にほんの少しだけ寂しいなという気持ちが浮かんでくる。

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