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『ハングルへの旅』(茨木のり子)読了

ハン・ガン氏の흰(すべての白いものたちの)を読んでから、私はハングルに興味を持つようになり、その"感覚"を掴みたいと今年から細々と学んでいる。
とはいえ、たった数ヶ月で劇的に進歩できるほど外国語の学びは甘くなく、ハングルを何とか音として読め、たまにわかる単語がある程度で、文を作る・話をするなどはまだ程遠いところにいる。

そんな中でたどり着いた本著は、50代にしてハングルを学びはじめた茨木のり子氏のエッセーである。さすがは詩人、ときどきハングルを使いながらも文字の歴史、国の歴史、文化、言葉、人となりなどハングルにまつわる話を、抵抗感なくするすると心に流し込まれるような文章だった。

もちろんこの本は韓国語、ひいてはハングルに関して書かれた本であるが、それと同時に私は読んでいて自分の言葉・日本語のことをぼんやりと考えるのだった。

私はなぜ日本語を話しているのだろう?
今、数ある日本語の中からこの言葉、この表現、この書き方をしているのはなぜだろう?
この言葉はどうやって覚えたのだろう?

あまりにも身近にある「私の言葉」を改めて考えることができた。

茨木のり子氏がこの本を執筆していたのは今から30年以上前のことで、英語やフランス語はともかく韓国語を習う人は珍しがられるような時代だったらしい。今日では韓国ドラマに始まりKPOP文化が盛んになったことにより、著者が生きていた時代よりもずっと韓国語を意図せず目にする機会は多い。(実際、日本での韓国文化の聖地・新大久保はいつだって人で賑わっている)
深く眉間にしわを寄せながらあれこれ考えるわけではなく、ごく自然にみるハングルたちに、もし今も茨木のり子氏が生きていたとしたら何を思うのだろうか。

「国」という柵は時に文化を守り、時に身体やこころに血を流してきた。(これらの出来事に関しては、私もさらに学ばなくてはと思う)
言葉の成り立ちというものは、その柵やそのすぐそばにある"歴史"と切っても切り離せないものである。しかし昔よりもハングルを見る機会が増え(はたまた日本語を見る機会も増え)、その言葉を学ぼうとする者も多くなり、それらが至って自由な気持ちで育まれているものだとするならば、その歴史も柵も、ほんの少しだけ色を変えることができるだろうか。

ぜひともこれからは、上書きではなく、新しいキャンパスにお互いの好きな色を持ち寄って自由に色を塗り広げたいものである。

そして私の小さな学びも、その色に少しでもなることができたら、と思う。