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noteの『練習』を「日記の練習」から。


noteを書き始めて 1ヶ月が経とうとしている。
藤井風さんのファンになって、それまで私のなかにいる『推し』との考察をしたい。文字にするには X だと書ききれない。悶々としているとnoteという場所があることに気づく。そんな私の 1ヶ月だった。
今回はnoteがつないでくれた

「日記の練習」くどうれいん 著

のことをお話します。


noteをいざ書こうとすると困った。
『なんて書出せばいいのだ…』
スマホのキーパッドを打つ右手が止まります。

書く内容はだいたい決まっている。
ただ 書き出しが定まらない。

とりあえず、皆さんの投稿を読み、参考になりそうなものになぞって投稿してみた。稚拙な投稿にも関わらず、いくつかの スキ もいただけた。ありがとうございます!

私は本を読むのが好きなのもあって 漠然とした文章は作れる(と思い込んでいた)。

書きたいのに書けない…
まるで小説家のような悩みが私を取り巻いている。

ある日 何がきっかけかわからないが、noteはエッセイに近いのかも?な考えが浮かんだ。

本好きではあるけれど、それまでエッセイは読んで来なかった。むしろ避けていた。

私が本を読むときに楽しみにしていること。
それは本の世界に入って、その人の心情を察しながら読み進めて行くこと。 登場人物に自分を重ねて読むこと。起承転結がはっきりとしていて、内容も「この先どうなるんだろう」とドキドキワクワクしたい。
今のじぶんとは違う日常を味わいたい。

エッセイは あっという間にストーリーが完結する。それってつまんない。読んだことないくせに。今思えば 私って損してた。

書店でエッセイの書き方、みたいな本ないかなぁ、と探していたら目に止まったのが

あまりにも参考になりすぎて 付箋を貼りまくった

『日記』とあるけれど、パラパラ、と読んだところで ぱあっ!と 光がさした。この本は私をnoteを書ける人に導いてくれるかもしれない。

結果、とても良かった!おもしろかった!
こういう本、私きらいじゃないじゃん!
本、て 内容はもちろんだけれど、文体、使うことば、読ませるテンポ。これがしっくりこないと読めない。そんな私にはぴったり。

エッセイを読まなかったこともあって、恥ずかしながら れいんさんのお名前も この日初めて目にした。
彼女の綴り文からは擬音の使い方にセンスを感じた。その場にいないのに 目の前で「そのこと」が目に見えるようだ。また、れいんさんの視点に なるほど、唸りながら読む一文もある。
この本の他にも 彼女はたくさん出版されているらしい。今度は れいんさんの書棚めがけて 書店に行かなくては、と考えている。

noteにしても エッセイにしても、読んでくれている人を意識するところ、は共通するのかな、と思っている。私の記事を読んでくれる人なんているんだろうか?そんな私が「皆さん~」なんて書いていいんだろうか。道の向こうに誰もいないのに 手を振っているみたいで恥ずかしい。けれど 時々ではあるが スキ のお知らせが来る。読んでくださってるんだな。嬉しい、よりは ほっとした気持ちの私。
道の向こうに立っている方が お会いしたことのない方でも 一人いてくだされば、その方にお話するつもりで綴ればいいのだ。

作家になりたいと思ったことは一度もない。
けれど「今、こういう事があって 私はこう感じた」なことを一人で脳内に文章にまとめることが多い。仕事中で あまり思考を働かせなくてもいい時間の時は 結構な確率で脳内文字起こしをしている。これ、まとめたら noteに書けそうかな?なことも考えている(仕事の手はとりあえず動いているので問題ない)

初めてエッセイを一冊読んでみて 改めてnoteへ書く楽しみが湧いてきた。

実は今まだ解決されていないことがあって。それは 分の終わりを「た」「だ」にするか「です」「ます」にするか。

今のところ「た」「だ」に統一するようにしているが、この書き方は苦手である←これも。
なんだか威張って聞こえるんですよね。私、そんなに偉くないし。何なら口数少なく聞き役多めです。
ですが読み手の立場になった時、するすると読み進められてナシではないかも、と自分を半ば説得させて、あえてこの書き方にしています。

noteやエッセイ、好きなことを好きなように書いていいんだよ。これは
「今晩何たべたい?」「何でもいいよ」
「どこ行く?」「あなたの好きな所。どこでもいいよ」
に限りなく近い気がしていて、迷走気味だった私。今は れいんさんに感謝してる。
そしてnote読書さんが偶然でも 私の記事に目にとめていただけたら 宇宙に飛んで行けちゃうくらい嬉しく思っています。

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