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「東京」は優しくない。原点回帰して考えるあるべき生活

年末年始、例に漏れずに田舎の実家に帰省しました。

なぜだか若かりし頃を過ごした実家に戻ってくる度に、自分がいま身を置いている環境について、大袈裟に言えば生き方について考えてしまいます。

小中高の思い出が実家には溢れているからでしょうか。意識せずとも自分の過去を振り返り、未来について考えてしまうのです。

今回の帰省で考えたのは、「東京」という場所のこと。

若い頃は「東京」に憧れを抱き、社会人になれば「東京」で仕事をすることが当たり前だと思っていました。パワーワードとでも言うのでしょうか。「東京」という場所が日本における未来かのように。

流行りのものは全て「東京」から始まり地方に流れてきますし、テレビで放送されることの多くは「東京」での出来事。大企業の多くは「東京」に本社がありますよね。もちろん地方にも日本を支えている数多の企業が存在しますが、若い頃は煌びやかな大企業や外資企業、スタートアップなどに憧れます。

実際「東京」に出てきてみて、そのような想像と異なることはありませんでした。今でもなお「東京」が生活も仕事も一番しやすい環境であることは間違いないと思います。

モノは何でも揃っていますし、人・お金・情報の全てが集まっている。こんなにも整っている都市は世界を見渡してもほとんどありません。

しかし長年住んでいると、少なからず「東京」に消費されている感覚をじわじわと覚えてきました。東京での生活は楽しく刺激があるのにも関わらず、日々付き纏う正体不明の閉塞感。時間ができたときに立ち止まってみると、息があがっていることに気づきます。

これは一体なんなのか。

誰かが“「東京」は優しくない”と言いました。
上京してきた当初は理解できませんでしたが、今では理解できます(東京出身者はどう感じるのだろうか)

これは決して「東京」の人の人格に向けた言葉ではありません。「東京」の人が冷たいと言っているわけではないのです。

人々が半ば強制的に信じ込まされている急ぎ足でハードワーキングな生活、ビル群に囲まれた日常、そのような社会で吸う空気など、目に見えない「東京」を構成している複合的な要素に対して言及しているのです。

もちろん豊かな生活の定義は人それぞれです。
必ずしも都会・田舎という曖昧な線引きではないでしょうし、上述のようなことを考えたことがない人もいるでしょう。ただ、昨今の多様性に富んだ時代の流れも相まって、いつの間にか息切れしていました。

「東京」が息苦しいならどこがいいんだと言われると分かりません。様々な潮流が蠢きあうこの時代、居場所を発見するには自分自身との深い向き合いが必要になってくるのかもしれません。

今後社会の向かっていく方向性も変わっていくと思います。上場を目指して巨額の資金調達を行い、ハイパーグロースを達成し続けることを生きがいとしていたユニコーン企業から、サスティナブルな社会を目指すゼブラ企業が台頭してくると言われています。

性の多様性もより加速していくでしょう。紅白歌合戦で観た氷川きよしの生き様には鳥肌が立ちました。本当に強く美しかった。

新たな価値が生み出せられる中、「東京」が持っているとされていた価値は変容していくはずです。一時期Uターンが話題になりましたが、東京以外の都市の存在の在り方や捉え方も変化していくはず。価値の変容が更に波及し、ライフスタイルや住む場所などにも及んでいくのではないでしょうか。

そのとき、自分がどこでどのような人生を送りたいのか考え続けたいと思います。

どんべい

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