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自己矯正記⑩ 「人の中に『どちて坊や』が必要な現代」

とある介護事業所の責任者で西野亮廣さんとプペルを観るのが楽しみな男、ryuです。

昔のアニメで「一休さん」をご覧になったことはあるでしょうか?
だいぶ古いアニメなので若い方にはピンと来ないかと思います。
その中で「どちて坊や」というキャラクターがいて、どう答えてもその答えの中から新たな疑問を投げかけ、無限に「どちて?(どうして?)」と聞いてくる男の子です。

「どちてご飯を食べるの?」
「お腹が空いたからだよ」
「どちてお腹が空くの?」
「胃で消化されるからだよ。」
「どちて胃で消化されるの?」

といった感じ💦
私は子供の頃に見て
「うるせぇ。本当に鬱陶しい…」
と思ってました。
なんといってもその頃はスマホどころかインターネットも未発展なので、知らないことは調べに行かねばならなかった時代です。
これを家で繰り返されたら親は参ってしまいますよね。

現代では親が子供に聞かれてもスマホで指先を動かすか、子供にスマホを渡して勝手に調べさせて済ますことだってできてしまいます。

しかしこの時代だからこそ、この「どちて」はとてつもない重みを持つようになったように感じます。

日本人は世界で最もネット情報を簡単に信じるそうです。
「ネットで調べたから」と知識を得たつもりになり、その真偽を確かめることもなく信じてしまう。
ここで一番良くないな、と思うのが
「まぁ、ネットの情報だから本当かどうかわからないけど」
と言って、そこで終わってしまう人です。

昔であれば調べる過程で他の知識にも触れながら「質の良い情報」を学べたかと思いますが、ネット時代の今では「ワード検索→答え」と簡素化されてしまっています。


こうやってズバッ!と答えだけ簡潔に出ますよね?
そして検索エンジンは使用者に最適化され、その人の知る言葉の周りしか情報を提示しなくなり、インターネットによって世界は狭くなっていくのです。(西野さんが言ってたやつ。)
※スマホ検索を全否定の話ではないですよ。

そこで「どちて坊や」。
この「なぜ?の数珠繋ぎ」は知りたい情報の表面ではなく、その知識の根元まで学ぶスタンスそのものだと思いました。
上の写真で言えば「胃とはなにか?腸とはなにか?なぜ脳で感じるのか?」
簡素化されて終わってしまう疑問の答えはそこに付随する知識も含めて知る方が大切だと思います。
なので、知りたいことは意外とアナログで調べた方が効果的と思います。

そしてなぜ?の数珠繋ぎの最たる効果はnoteを始めて気付きました。

誰かに聞く、それに答えるというのは
「双方向のインプットとアウトプット」であると。
聞く側と答える側の会話がその両方を担うのでより理解力が上がりますよね?
これはオッケーGoogleでもヘイSiriでもアレクサでも出来ないこと。

他人に話す、ということは自分の頭の中の知識を整理する機会。
他人に聞かれた、ということは自分でも気づかないなぜ?という気付きを得る機会
本で調べる、ということはより多くの知識から正しい知識を得る機会
もちろんスマホ検索でもなぜ?を繰り返して調べ尽くせば良いとは思います!

ネットで調べた時は
・それが正しい情報かどうか
・調べた情報は必要な知識が不足していないか
を意識してみるといいかもしれない、というお話でした。
タイトルの「どちて坊や」と内容が合ってるかはわかりませんが、参考になった方はスキしてくれると嬉しいです。

内容に異議があれば気軽にコメントください。
否定も肯定も必ず受け止めます。

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